横田
よこた
概要
在日米軍横田基地
在日米軍の航空基地で東京都の多摩地域に所在するが、用地は西多摩郡瑞穂町、武蔵村山市、羽村市、立川市、昭島市にまたがっている(沖縄の基地では民有地を国が借り受けることで基地を運営しているが、横田基地の場合は敷地のほとんどが国有地である)。
沖縄以外では日本最大のアメリカ空軍の基地で、極東における重要な基地。それゆえ基地関係者だけで11000人(軍人および軍属、日本人従業員などで)もいて、ひとつの街が形成されている状態である(しかも治外法権)。
在日米軍の司令部と第5空軍司令部が置かれていて、朝鮮戦争における国連軍の後方司令部や(朝鮮戦争はあくまでも「休戦」状態なので国連軍は建前上存在している)航空自衛隊航空総隊司令部も置かれている(航空総隊司令部は東京都府中市から移転した)
かつてはアメリカ空軍によって行われた航空管制は現在航空自衛隊が行っている。
滑走路は長さ3356m×60mで1本のみであるが結構頻繁に飛行機の発着が行われている。主に輸送機が発着しているがまれに戦闘機や本国帰還のための定期チャーター便として民間の旅客機も発着している。またフランス軍の輸送機が本国からニューカレドニア島に移動する際に給油のため立ち寄っている。
沿革
元々は1940年に旧日本陸軍立川飛行場の付属施設である多摩飛行場として建設。戦時中は陸軍航空審査部が置かれ航空機の試験場として利用された。終戦直後の1945年9月にアメリカ軍に接収され横田基地と呼ばれるようになった。朝鮮戦争時はB-29の出撃基地にもなった。接収時に拡張され現在の形になったのは1960年ごろである。この拡張の際、国鉄八高線の東福生駅~箱根ヶ崎駅間で線路移設が行われ、五日市街道も基地用地で分断され迂回させられた。
ベトナム戦争の際も補給基地の機能を果たした。
名前の由来
前記のとおり開設当時は多摩飛行場と名乗っていたが(地元住民は所在地から「福生飛行場」と呼んでいる)接収当時のアメリカ軍発行の地図で飛行場の所在地が「福生(Fussa)」や「箱根ヶ崎(Hakonegasaki)」より北多摩郡村山町(当時。現在の武蔵村山市)の一地名であった「横田(Yokota)」が近いことになっていたため接収時に「横田飛行場(Yokota AirBase )」と名乗るようになった。なお、武蔵村山市の地名としての「横田」は現在消滅している(わずかにバス停の名称に残っているのみ)。
騒音問題
主に多摩地域が航空路になっている上に立川飛行場(現在の昭和記念公園や陸上自衛隊立川駐屯地一帯)が返還されたため離発着回数が増え、早朝から深夜まで騒音が激しい。多摩地域の一部の市町では国費でクーラー取り付けや防音工事が行われているが、それでも結構うるさい。
何度か飛行差し止めの裁判を起こしているが横田基地の重要さゆえに飛行差し止めは現在も行われていない。
軍民共用化問題
石原慎太郎都知事が公約しているが、地元である瑞穂町では反対運動が起きている。理由はやはり騒音問題で、軍民共用化となると今まで以上に騒音が激しくなるため。(箱根ヶ崎駅に横断幕が掲げられているほど)