基本データ
コース | 中山競馬場・芝2,000m |
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条件 | 3歳 |
負担重量 | 別定(馬齢重量(牡馬・騙馬56kg、牝馬54kg)日本馬:収得賞金1800万円以上は1kg増 外国馬:重賞競走1着馬は1kg増 ) |
格付 | GⅢ |
主催 | JRA(日本中央競馬会) |
概要
1961年創設1961年に創設された、4歳(現3歳)馬限定の重賞競走(GⅢ)。
その名の通り中山競馬場近辺を沿線とする京成電鉄より寄贈賞の提供(スポンサー協力)を受けている。
基本的に1月中旬開催。
創設からしばらくは芝外回り1,600mコースで設定。
1970年代は東京競馬場の芝の同距離コースでの開催が続いたが、1980年以降は原則中山競馬場開催に戻される。
1999年距離をジュニアカップと入れ替えで2,000m(中山競馬場では内回り)に変更。
現在はホープフルステークスや弥生賞ディープインパクト記念と共に、同じ競馬場と距離の皐月賞の前哨戦としてクラシック戦線を見据えた出走馬の調整においても重要とされているのだが...。
微妙な立ち位置
表向きはクラシックレースに向けて各馬の将来性や距離適性を占ううえで重要な競走であり、同じ競馬場と距離の皐月賞の前哨戦という見方もできたが、スケジュールやレースの価値から前哨戦としての評価は高いとは言えなかった。
共同通信杯がスケジュール的にクラシック戦線の始動戦として使いやすいうえ、東京競馬場で開催されるレースを経験するという点の価値が様々な面で活用されており、弥生賞は出走する場合はスケジュール的に厳しくなるものの、皐月賞への優先出走権を得られるというメリットがあった。
一方で京成杯は優先出走権を得られるレースでもなければ、スケジュール的に始動戦として使うほどのメリットがなく、獲得賞金でクラシック戦線に加わることが難しい馬が参戦し、実績を作る程度という位置づけとなってしまっていた。
ジンクス
過去の本レースの優勝馬のうち、1981年のテンモンを最後にG1級競走を勝利する馬は出なくなってしまった。それどころか、重賞路線でも勝てなくなり、これが最初で最後の重賞での勝ち星となってしまった馬も少なくない。前述した通り、皐月賞の前哨戦として重要とは書かれているが、このレースから皐月賞を制した馬は出ていなかった。
しかも、直近で京成杯以降の重賞で勝利した経験があるのはジェネラーレウーノしかおらず、G1級競走の勝ち馬では同年の東京優駿(日本ダービー)を制したエイシンフラッシュのみという状況であり、古馬以降に限ってしまうと勝ち星を加算したのは最後の事例もエイシンフラッシュのみで、同馬がこのジンクスを破った数少ない馬でもあった。
そして2023年、ソールオリエンスが同レースをステップに皐月賞を制し、ついに本競走も皐月賞に繋がる舞台となった。
関連項目
(同舞台、同コースで行われる重賞)
(京成電鉄関連の重賞競走)