デーモン・コアってな〜に?
大まかに説明すれば、核分裂性物質の臨界に関する研究における実験のために造られたプルトニウム239とガリウムの合金で出来た塊の通称である。
形は球形、全体の重量は6.2㎏で、元は『ルーファス』と名付けられていた。
実は…
このデーモン・コア、実はファットマンに次ぐ原爆として日本に投下される予定があったものを、日本の降伏で実験用に転用したもの。爆縮タイプになる予定だったらしく、投下されていれば三度地上に地獄を生んでいた(実際、終戦前日に模擬爆弾のパンプキンが愛知県に投下されており、準備は進められていた。攻撃目標は明らかになっていないが、パンプキンを投下したB-29はその直前に京都上空を飛んでおり、そのことから京都が攻撃目標のひとつだったといわれている)。
日本の降伏でその必要がなくなり、地上にこの世の地獄を生み出すことはなくなった…が、その代わりに実験用に転用されたあとで関係者に牙をむいて地獄を味わわせることになった…というのは皮肉としか言えない。
なぜデーモン・コアなの?
『デーモン・コア』と呼ばれるようになったのは、実験の過程において臨界事故を2度引き起こし、関係者に死者を出したためである。
いずれも安全性を無視したような設備を使用した実験で発生した。
実験の内容
以下に記載される2つの実験は、どちらもデーモンコアに中性子反射体を近づけることにより、連鎖反応を増減させて反応を確かめる実験である。
プルトニウム239は言わずと知れた放射性物質であり、放っておいても自発核分裂により中性子を初めとした放射線を放出する。
しかしながら燃料や兵器として利用するのに十分なエネルギーを放出してはくれないので、放出された中性子が別のプルトニウム239を核分裂させていく連鎖反応を増やさなければならない。
そのために用いられるのが中性子反射体であり、これを放射性物質の付近に設置して中性子を放射性物質に戻すことで、連鎖反応の確率を高めて出力を上げることが出来る。
以上が実験の趣旨であるわけだが……その中性子反射体の設置の仕方があまりにも雑すぎたため、連鎖反応が持続し強烈な放射線が放たれる臨界状態を意図せず発生させてしまったのである。2度も。
最初の臨界事故
1945年8月21日に発生した。
台座に固定したデーモン・コアの周囲に中性子反射体である炭化タングステンのブロックを積み重ねて連鎖反応を制御しようと試みたところ、ブロックをうっかりデーモンコアの上に崩してしまい、臨海事故となった。
この事故で、助手とともに実験を行っていた科学者のハリー・ダリアンが事故から25日後に放射線障害で亡くなった。
2度目の臨界事故
1946年5月21日に発生した。
デーモン・コア絡みの臨界事故で有名なのは、こちらであると思われる。
画像を検索すると、二つの半球状の物質の間にマイナスドライバーを引っ掛けている画像が出てくるが、これはこの臨界事故に至った実験を再現したもので、球体のベリリウムを二分割して中をデーモン・コアの形に合うようにくり抜き、片方を台座に固定して中にデーモン・コアを入れ、もう片方のベリリウムの塊をその上に乗せる際、マイナスドライバーを挟み込んで臨界に至らないようにしているのである。
そして、マイナスドライバーを動かして上の半球とデーモン・コアの距離を調整して反応を確かめるのである。
……が、案の定ドライバーを滑らせてしまい、ベリリウム球がぴったりくっつくことに。
反射体に包まれる形となったデーモン・コアは瞬時に臨界に到達、大量の放射線を発生させた。
前の事故もあったうえ、中のコアが些細なことで臨界に達することからこの実験に失敗は許されないことは認知されており、筆頭のリチャード・ファインマンにしてもこの実験を「眠ったドラゴンの尾をくすぐる」ようなものと言って批判、他の多くの科学者も参加を拒否していた。
しかし功名心の強かったカナダの科学者ルイス・スローティンは文字通り先頭に立ってマイナスドライバーを操り実験を敢行。結果は上述のとおりである。
ちなみに、この事故ではデーモン・コアの全周に核分裂反応を促進させる中性子反射体があったせいか、『半球同士が完全に密着=臨界状態になる』に至った時、「チェレンコフ放射光」と呼ばれる大量の中性子が含まれた熱波を伴う青い光が放たれた。(厳密にはチェレンコフ放射光とは違うらしいのだが、以後誰も類似の実験をしないので詳しいことは分からない)
スローティンは上半分のベリリウムの半球をはねのけるまでの僅か1秒という短い時間で致死量の中性子を全身に浴び、事故から9日後に放射線障害で亡くなった。また、スローティンのすぐ後ろにいてスローティンの体が楯となって命は助かった科学者も後遺症によって予後一生苦しんだ。被ばくした彼がどういう体になったかは自己責任で検索してほしい。
つまり至近距離で青い光を見たらどうあがいても絶望なのである。
そのあとどうなったの?
デーモン・コアはその後、ビキニ環礁での核実験であるクロスロード作戦で使われる3発目の核爆弾になる予定だった。ところが、2度目の核実験で目標とした艦艇が想定外の深刻な放射能汚染に見舞われていることが判明。艦艇を移動できなくなり、デーモン・コアを使うはずの実験は中止になってしまった。
その後、デーモン・コアは溶かされて、他のコアを作るのに再利用されたという。
関連タグ
デーモンコアくん - こんな危険な代物をベースにとある一人の天才ユーザーによって生み出されたキャラクター。「2つの半球を組み合わせた体」、「口にくわえたマイナスドライバー」、「半球を組み合わせた体の上下が密着すると死に至る青い光を発する」などというキャラクターの特徴から、2回目の臨界事故に至った実験をモチーフにしていると考えられる。
そもそもこのデーモン・コアをNHKの教育番組に出て来そうなキャラクターにするという彼の発想には脱帽である。