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恒貞親王の編集履歴

2023-09-02 21:34:06 バージョン

恒貞親王

つねさだしんのう

恒貞親王とは平安時代前期の皇族。

概要

淳和天皇の皇子、母は正子内親王嵯峨天皇の皇女)、仁明天皇皇太子(後に廃太子)。


経歴

天長2年(825年)に誕生、天長10年(833年)に仁明天皇即位に伴い皇太子となる。皇太子に指名されたことに不満を持ち辞退を申し出るが通らなかった。承和9年(842年)に嵯峨上皇が崩御、同時に伴健岑橘逸勢などの側近が処罰され親王も廃太子となる(承和の変)。事件後に三品に進むが後に出家して恒寂という法名を受け大覚寺の初祖となる。元慶8年(884年)に陽成天皇廃位後に藤原基経から皇位を求められるが辞退した。同年に死去。


外部リンク

恒貞親王 - Wikipedia


関連タグ

皇族 平安時代 淳和天皇 皇太子 承和の変

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