ドイツの装甲攻撃機
装甲攻撃機といえばIl-2が思い出されるが、そちらとは全く関係のない機である。
あちらは対塹壕用の攻撃機から発展しており、
対するHs129は純粋な対戦車攻撃機ともいえる。
これは『A-10の大先輩』にも相当するだろう。
1937年、ドイツ空軍省は『堅固な防御装甲を施した、20mm機銃装備の小型双発攻撃機』の開発計画を、各メーカーに向けて指示した。
国内の4社がこれに応え、うちフォッケウルフとヘンシェルで試作機が製作されることになった。
フォッケウルフはFw189偵察機を改設計した機体を出品しており、
対するヘンシェルは専用設計の対地攻撃機である。
比較の結果、もちろんヘンシェル案が採用されることになり、さっそく12機が発注された。
A-10の大先輩
Hs129の特徴は表面積を最小限とするため、胴体の断面を三角形にしている事である。
当然コクピットは狭く、
・計器がすべて収まらないので、エンジン関係の計器はエンジンナセルに外付け
・射撃照準機もコクピット外付け
・そもそも操縦桿もつっかかって完全に動かせない
・・・のような特徴がある。
もちろん機体には厳重な装甲が施され、総重量はかなりのものとなっている。
当然、機体重量も重くなり、総重量は初期の時点で5tにも及んだという。
そうすると問題は『大重量に見合ったエンジンがあるか』という事になる。
試作機Hs129A-0ではエンジンに「アルグスAs410A-1(465馬力)」が使われていたが、
テストではパワー不足甚だしいと判定された。
実際、この重量級の機体を飛ばすのにテストパイロットは苦心しており、
パワー不足なのでスピードが出ず、旋回にすら気を使うというシロモノだった。
もちろん加速も悪い。
1940年には教育部隊に配備され、実戦部隊の編成に向けて準備が行われた。
しかし前述の通りパワー不足で運動性は劣悪なので、
HS129A-0の生産には『待った!』がかかる事となった。
『Hs129に新しい心臓を!』
もちろん、有効な解決法は『高性能エンジンへの換装』である。
だが既に戦争は始まっており、高性能エンジンは戦闘機や爆撃機など、
『今すぐに必要な軍用機』に優先して廻されてしまい、
Hs129が使えるエンジンはドイツに残ってはいなかった。
これに対し、採られた手だてが『接収したフランス製エンジンの流用』である。
占領した工場から「ノーム・ローン14M(700馬力)」を持ち出し、パワーアップを図ったのである。
これに加えて機体各部も改良し、Hs129Bへと発展した。
実に1.5倍ものパワーアップが図られた訳だが、これでも出力は不足気味だったという。
鈍重という意味では相変わらずな機体だが、
これならマシな方だろうと判断されたのか、生産には見事ゴーサインが下りている。
武装の変遷
Hs129A-0ではコクピット下のスリットに20㎜機銃と7.92㎜機銃を2門ずつ、
合計4門装備していた。
エンジンを換装したHs129B-1では、さらに爆弾ラックを胴体下と主翼に追加している。
Hs129B-1/R2では20㎜機銃の威力不足が明らかになり、
胴体下の爆弾ラックに強力な「Mk101」30㎜機銃をオプション装備している。
(総弾数30発)
Hs129B-2はエンジン周りの設計を手直しして、アンテナ支柱が無くなっている。
オプションの30㎜機銃が改良型の「Mk103」となり、
さらにJu87Gと同じ37㎜機銃にも対応している。
続くHs129B-2/R4(HS-129B-3)はシリーズ決定版とも言える型で、
胴体下のオプションがとうとう『75㎜自動砲(総弾数12発)』で頂点を極めた。
これは圧搾空気で作動するもので、
命中すればjS-2すら一撃で葬るほどの威力があったという。
25機程度が配備されたというが、
自動砲の重量や空気抵抗で、扱いにくさは相当のものだっただろうと思われる。
『元祖・空飛ぶ缶切り』
最初の実戦は1942年、アフリカ戦線だったという。
しかし「ただでさえパワー不足気味」だったこと、砂による稼働率の低下等により、
目立った戦果を挙げるには至らなかった。
初めて威力を見せ付ける機会を得たのが、1943年のチタデレ作戦である。
第1、第2地上襲撃航空団の攻撃により、1個戦車旅団がたった1日(それも数時間)で壊滅したのだ。
だが、このように鈍重な攻撃機が活躍するためには航空優勢の確保が必須なのだ。
この作戦(失敗)以降、戦争の主導権はソビエト側へと移り、
したがってHs129は活躍を制限されることになってしまったのだ。
実際、この後の活躍には目立った事に乏しいものがあったようで、
エンジン工場すらもフランス解放で、連合軍の手に渡ってしまった。
ただでさえ優先すべき航空機が列を作っている、
という状況では性能向上計画、果ては生産さえも棚上げになってしまったのだった。