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伴善男の編集履歴

2023-10-24 20:31:42 バージョン

伴善男

とものよしお

伴善男とは平安時代初期の公卿。

概要

伴国道の子、官位は正三位、大納言、別名は伴大納言


経歴

校書殿から善愷訴訟事件まで

弘仁2年(811年)に誕生、校書殿の役人となり後の承和8年(841年)に大内記となる。蔵人・式部大丞となり承和10年(843年)に従五位下、右少弁となる。承和13年(846年)に善愷が訴訟を起こすが右大弁正躬王弁官5人が不正を行った事を糾弾し翌年の承和14年(847年)に事件は終息した。(善愷訴訟事件


応天門の変

嘉祥元年(848年)に参議となり右衛門督検非違使別当・中宮大夫となり貞観2年(860年)に中納言、貞観6年(864年)に大納言となる。貞観8年(866年)に応天門が焼失され左大臣源信が犯人と訴えた。結果信は無実となるが後に善男・中庸親子が犯人として捕らえられ善男は伊豆国へと流され貞観10年(868年)に死去した。(応天門の変


人物

狡猾であったが才知と弁舌に優れていた。


外部リンク

伴善男 - Wikipedia


関連タグ

平安時代 大伴氏 応天門の変

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