CV33
かるろべろーちぇとれんたとれ
開発
1929年、イタリアは国産戦車開発の足掛かりとしてイギリスのカーデンロイドMk.VI豆戦車をフィアット・アンサルド社で改設計を加えつつライセンス生産、「CV29」の呼称を与え、21輌生産した。
さらに、この車両にエンジンの国産化、装甲厚増加、密閉戦闘室化などの改良を加えたものが1933年に「CV33」として制式採用されることとなった。
特徴
当時の軍用車両としてはかなり小柄で、一般的な乗用車よりも小さかった。
また、砲塔はなく、車体前方左側に限定的な旋回のみ可能な銃座を搭載した。
火力
初期生産車は6.5mm機関銃×1挺、1934年以降の生産車は8mm機関銃×2挺を搭載した。
また、機銃を撤去して火炎放射器を搭載したLf型(Lanciafiamme)や、現地改修で20mm対戦車ライフルを搭載したCC型(Controcarro)が存在した。
防御力
正面で14mm、側背面で8mm、天板および床板で6mmと、小銃弾に耐えられるだけの装甲となっている。
機動力
エンジン出力は43hpと決して高いものではなかったものの、車重が3.2tと軽量であったため、機動力は同時期に実用化した戦車としては優秀な部類に入った。
運用・実戦と評価
初陣のエチオピア侵攻(1936年)で初めて実戦投入されたCV33は、エチオピア軍の機甲戦力がほぼ皆無だったこともあり、ある程度の戦果を挙げた。
しかし、1937年のスペイン内乱ではソ連義勇軍が投入した対戦車砲や高性能戦車(T-26、BT-5)相手の戦闘でほとんどが一方的に撃破されることとなった。
そして、第二次世界大戦の開戦に至ってもなお、イタリア軍はこの旧式戦車を数的主力として据えていた。
もちろん、M11/39中戦車やL6/40軽戦車など次世代の新型車両開発は進められていたが、イタリアの国力はそのような近代的戦車の生産開発を支えるには不足していた。
結局、1943年のイタリア降伏までイタリア軍の主力だったCV33は、その後もドイツ軍に接収され対パルチザン任務などを担う二線級戦車として運用が続けられた。