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みさき公園の編集履歴

2024-01-16 06:43:05 バージョン

みさき公園

みさきこうえん

大阪府岬町にある大型都市公園。かつては南海電鉄が管理・運営をする遊園地・動物園・水族館が併設されていた。

南海運営時代

1957年4月1日にオープン・開園。南海電気鉄道が運営主体となり、運営業務は営業管理を南海アミューズメント株式会社、施設管理を南海ビルサービス株式会社に委託。南海電鉄の創業70周年記念事業として開園したものであった。


公園という名前だが、遊園地動物園水族館、イベントステージに加え、さらにには大型プールも営業し、鉄道体験施設に南海電車のカットモデルを設置している複合型レジャー施設であった。


2020年3月31日をもって、親会社の南海電気鉄道がみさき公園の事業から撤退することを2019年3月に発表。この時点で閉園が決まったわけではなく、施設引き継ぎ事業者の募集・交渉が行われてきたが、2020年2月時点で合意に至らなかったことから、予定通り2020年3月31日をもって閉園することが決まった。


USJが開業、前後しての不景気やレジャー産業の衰退もあり宝塚ファミリーランドあやめ池遊園地など大小様々な遊園地が閉園するなど多大な影響を及ぼしたが、その中でみさき公園は前述の通り「子供向け」に徹した遊園地への転換を行い、生き残ったという経緯がある。姉妹遊園地であるさやま遊園を閉園したのも、取捨選択を南海が行った結果だと言えよう。

しかしながら、それから更に15年以上が経過し、少子高齢化はますます進んだ。1989年度に約72万人を記録した年間来場者数が、2017年度には半分の約36万人に減った。2019年頃の時点では南海グループを潤わせているインバウンド需要も、子供向けに特化した遊園地では逆に利用客を呼び寄せる決定打に欠けていたと言える。

長らく営業損益の赤字が続いており、近年では「シャイニースタジアム」「わくわく電車らんど」の開業や、交通ICカード「PiTaPa」を利用した支払い方式をいち早く導入するなどテコ入れ策を講じたが、来場者数の減少が止まらず、抜本的な収支改善には至っていなかった。


施設

遊園地

1957年の開園以来走り続けているジェットコースターが設置されていた。西日本では最も古く、日本全国では東京の浅草花やしきに次いで2番目に古い。1980年代設置された宙づりコースター(泉陽興業製「アトミックコースター」量産型の一つ)などの絶叫系マシーンが撤去され、子供向けの遊園地に徹している。


動物園

日本で初めて地理学展示による無柵放養式展示を採用した。キリンの繁殖展示で著名な実績を残し、「キリンのみさき公園」の異名を取った。カンガルーの飼育数日本一も誇っていた。日本で初めてツキノワグマの行動展示を行っている。

閉園後、展示していた動物はアドベンチャーワールドなど各動物園へ譲渡が行われる。


ぷ~るらんどRiO

1987年6月28日にみさき公園開園30周年記念事業として開設された大型プール。海の見える高台に流水プール、ループスライダー、川下り「ジャングルリバー」などを備えている。1997年7月8日にスプラッシュスライダー、2000年7月8日にウォータージャングルを設置している。

台風の影響で施設が破損したため、最終2019年シーズンは営業休止となった。


シャイニースタジアム

2009年3月1日に開館。ここでイルカショーが行われる。スタジアムに付帯する形でアシカ舎・ペンギン舎も新築移転された。もともとは2000年に閉館した自然水族館。


わくわく電車らんど

子供向けの鉄道体験施設として2014年9月27日開業。南海10000系電車(10905号車)、7000系電車新旧塗装(新塗装7041号車・旧塗装7033号車)のカットモデル3点を用いての運転士・車掌体験や、50000系電車の実物大モックアップを使った運転士体験ができるほか、プラレールで遊べる広場があり、南海電車関連のグッズが販売されているた。

閉園に伴い同施設も閉鎖された。50000系実物大モックアップは沿線にある浜寺公園敷地内の浜寺交通遊園に移設されたが、残りのカットモデルは解体された。


岬町運営時代

南海時代の旧みさき公園の敷地は地元の岬町に無償譲渡された。岬町は、再び町のにぎわいの拠点にしようと町立公園への転換を計画しており、南海時代の施設は撤去のうえでホテルや動植物園のほかグランピング施設などを新たに整備。2024年4月以降の全面的な再オープンを目指している。


追記

  • 南海グループはこのみさき公園の他にも、1938年から(休園期間はあれど)2000年4月1日まで、大阪狭山市にさやま遊園という遊園地を運営していた。
  • また、みさき公園の動物のご先祖様の一部は、元々和歌山県貴志川線沿線にあった「大池遊園」(大池自然動物園)から越してきたもの。
    • 当時南海グループ外で経営されていたこの動物園は昭和30年代前半まで盛り上がっていたが、みさき公園開業で客が減少し、よりにもよって経営していた和歌山鉄道(貴志川線の当時の運営会社)が戦時中に南海傘下となった和歌山電気軌道に買収されたことで同一グループとなり、不採算事業の整理統合を名目に閉鎖されてしまった。もっとも動物たちはみさき公園に引き取られたと言われている。
    • ただし猿(タイワンザル)だけは別で、異なる動物園の猿の誘致は喧嘩を招くという理由から元々群れで暮らす小型霊長類の移籍が難しいという事情があるものの、大池に取り残されてしまった(似たような話は同じ南海沿線の大浜公園にもあるが、こちらは今も当時の猿の子孫が猿山内に現存している)。後に逃げ出して沿線の農作物被害やニホンザルの遺伝子汚染を及ぼした、という曰くを残している。このタイワンザルの子孫は、前述の生態系・経済被害から和歌山県によって駆除が進められたが、その完了宣言は奇しくもみさき公園開業60周年を迎えた同じ年であった。

公式外部リンク

岬町:『新たなみさき公園の整備に向けて』


関連項目

公園 大阪府 岬町


南海電気鉄道

遊園地 動物園 水族館

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