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概要

160年の歴史を持つ、日本最古参の遊園地
ただし一旦閉鎖された時期があり、閉鎖その他で断絶した歴史がない遊園地という点ではひらかたパークの方が歴史が長い。

歴史

1853年に開業。当時は植物園「花屋敷」として開業した。
これが「花やしき」の名の由来である。
明治時代に入り浅草寺一体が浅草公園地に指定された際、敷地を縮小している。
当時は上流階級の娯楽施設であったが、徐々に庶民にも親しまれるよう動物トラなど)を展示し動物園としての体裁を整えたり、或いは展示物を置くようにもなった。
浅草が繁華街となるに連れ、動物や展示物だけでなく見世物や遊具も配置するようになった。この時点で遊園地としての「花やしき」の原型ができた。
(ちなみにこの時代の浅草は今でいう新宿池袋みたいなもの、「東京最大の繁華街」であった。東武鉄道が浅草を起点としているのもこの名残の一つ(当時の一等地である浅草をターミナルとした)である)

戦時下に徐々に規模を縮小し、1935年に一旦(実質的に)閉園するが、1939年に経営母体が聚楽に変わり再開。
1941年には映画で有名な松竹が経営母体(実際に経営していたのは松竹の子会社である合資会社花屋敷)となったが、1942年に強制疎開により再び閉園。一旦取り壊される。なお、実際に運営していた「合資会社花屋敷」は長らく休眠会社となっていたあと、「松竹シネマエンタープライズ」として地方映画館の運営を行う企業となった。
終戦直後には不法占拠されていたが、1947年に東洋娯楽機械トーゴ)に運営が変わったことによりなんとか敷地が回復され、遊園地として再開した。
ちなみにトーゴにとっては単なる自社系遊園地というだけでなく、「自社製品のショールーム」という側面も持たせていたと言われている(園内のアトラクションに小型のコインライドやゲーム機まで含めてトーゴ製が多いのはこの名残)。

長らく入園料を取らず、回数券などで収入を得る方式だったが、近所にあった場外馬券売り場(現在のWINS浅草)から労務者たちが流れ、しかも彼らが泥酔していることが少なくなかったため、風紀の面での問題を抱えてしまう。また敷地内のゲームセンターが少年たちの溜まり場になったことを浅草警察署から指摘され、まともな収益が上がらなかったため、1985年の風俗営業法改正に伴い、小学生以上は入園料を徴収することになった。その結果、懸念していた客足は有料化しても衰えず、風紀がらみの悩みは一気に解決、家族連れが安心して遊べるようになったのだった。

2004年にトーゴが会社更生手続きを始めたことにより、地元企業としてバンダイが支援に乗り出すことを表明。経営が同社の関連会社「バンプレスト」の子会社である「株式会社花やしき」に変わった。

主なアトラクション

ローラーコースター

1953年に設置された、日本最古のジェットコースターとして知られる。宙返りなどの派手な構成こそ無いものの、民家スレスレを走ったり或いは民家(のセット)に飛び込んだりするので、見た目よりスリルがあるとの評判。

パンダカー

色々な意味で花やしきの「顔」となっている乗り物。
なんかグッズとかも結構出ていたりする。

スペースショット

フリーフォールタイプのアトラクション。舶来物インタミン社製)。
遠くからでもすっげぇ目立つ。

Beeタワー

いわゆる飛行塔。ゴンドラが家の形になっている。
スペースショットと同じく遠くからでもすっげぇ目立つ。

メリーゴーランド

これはトーゴの製品…のはずなのだが、木馬の塗装が他の遊園地にある同社製のメリーゴーランドと違ったり全体的に小ぶりだったりとかなりの部分で差異が見られる"特殊仕様"っぽい。
ちなみに一昔前は舞浜の方から突っ込まれそうな装飾品があった。
こんなのでもVVVF制御(操作室を覗くと三菱電機製のインバータ装置がある)。

花やしきアクターズスタジオ

花やしきは自前の芸能プロダクション「花やしきアクターズスタジオ」を持っていることでも知られている。
不定期に来援した一般人を相手に行う「特待生オーディション」も実施しており、合格者は特待生として無料でレッスンを受けつ頃ができる。
また「花やしき少女歌劇団」の母体ともなっている。

関連イラスト

モヤさま〜パンダとさまぁ〜ずと狩野アナ
パンダカーでどこまでも


浅草花やしき
夕暮れ近い遊園地


【フリー素材】花やしき
はなはなふぇすてぃばる



アクセス

浅草ビューホテル側の出口を使うと比較的早い。


関連タグ

表記ゆれ

外部リンク

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