概要
北畠顕家とは、南北朝時代初期に登場・活躍した武将であり、『逃げ上手の若君』にて、中先代の乱の後に登場した人物。
元弘3年/正慶2年(1335年)、後醍醐天皇の新体制において、親房・顕家親子は後醍醐帝の皇子・義良親王(後の後村上天皇)を奉じて奥羽に赴任、鎌倉幕府残党の鎮圧に乗り出している。
20歳に満たぬ年齢でありながら、一騎当千の武士ですら成功しない三十三間堂越えの的に一点の狂いもなく「涼しい顔をして全て当てている」ことが魅摩の口から語られている。
人物
奥羽で主君・義良親王、父・親房らと治安の維持にあたる貴族ながら、武芸に秀でた人物であり、中先代の乱の後に起こった建武の乱にて一躍華々しい活躍をあげる。
時行には「まるで太陽がそのまま人になったような人物」と評価されるが、階級意識の権化にして、剥き出しの差別主義者であり、武士を野蛮な人間や獣も同然と公言して憚らず、性格はドSな俺様気質そのもの。
一方で、獣同然と吐き捨てる潜伏中の時行の隠れ家に自ら出向いて、彼を自陣営にスカウトしたり、荒くれ者の集まりである鎌倉武士の残党を率先して率いるなど、率先して行動に移る人物でもある。
また、武芸や軍才に関しては、冷徹無比な高師直をして「本当に貴族か?」と唸らせるほどであり、特に即効に優れた武将。