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児玉清の編集履歴

2024-02-25 21:20:06 バージョン

児玉清

こだまきよし

東京都出身の俳優、司会者。(1933.12.26~2011.5.16)

概要

1933年12月26日生まれ(戸籍上の生年月日は1934年1月1日)。東京府東京市滝野川区(現:東京都北区)出身。本名は北川清、旧姓・旧芸名は小玉清。

学習院大学文学部で演劇部の道具係をしていたが、178cmの長身を買われて無理やり舞台に上がらされた。その後大学の先輩である篠沢秀夫に見いだされ、氏が企画していたフランス語の劇「ブリタニキュス」の主演に抜擢される。フランス語が分からないながらも見事に演じ切って高い評価を得た。

元々役者志望ではなかったが、母の急死に伴い働き口を探していたところ、知人が手を回して応募してくれた東宝ニューフェイス第13期に合格。

1958年に黒澤明監督の映画「隠し砦の三悪人」で俳優デビュー。

しばらくは通行人などのモブ役が続いたが、「鉄腕投手 稲尾物語」(1959年)のロケ先の福岡県福岡市の喫茶店で、あるスター俳優がサインを求められた際に児玉のことを「この人は雑魚だからサインもらっても意味ないよ!」と言ったことから一念発起。次第に台詞のある役を得られるようになった。

黒澤監督の「悪い奴ほどよく眠る」(1960年)で新聞記者役で出演した際にはとにかく目立とうとするあまりに大げさな演技を繰り返して黒澤の怒りを買い、散々いじめ抜かれたことから一度は黒澤を殴り返そうとしたこともあったという。

1964年8月に東宝の中堅女優だった北川町子と結婚、婿入りしたため北川姓となる。

1967年に東宝を退社、フリーとなりテレビドラマに転向。水前寺清子主演の「ありがとう」で人気を博すが、テレビドラマのカット割りが多くなり通しの演技ができなくなったこと、得意としたホームドラマ自体が減少傾向にあったことから徐々に俳優業を減らしていくことになった。

1975年4月6日から開始されたクイズ番組『パネルクイズ アタック25』の司会者を務める。

「大事な大事な、アタックチャーンス!!」の掛け声とあのポーズでお茶の間の人気となる。


2011年5月16日、胃ガンのため永眠(享年77歳)。遺作は大河ドラマ龍馬伝」(2010年)。


関連タグ

俳優

稲嶺和市:児玉をモデルにした「図書館戦争」の登場人物。

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