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松平喜徳の編集履歴

2024-04-22 03:48:37 バージョン

松平喜徳

まつだいらのぶのり

幕末から明治時代の大名・華族。

生没年 1855(安政2)年~1891(明治24)年

官位 従四位下 若狭守・侍従

常陸水戸藩主・徳川斉昭の十九男。異母兄に15代将軍・徳川慶喜がいる。

経歴

1867(慶応3)年、陸奥会津藩主・松平容保の養嗣子となる。戊辰戦争開戦後の翌4年、容保の隠居により会津藩主となるが9月の会津戦争で敗北し謹慎処分を受けた。

1872(明治5)年に赦免されるが、翌6年に水戸家の分家である守山松平家の当主となっていた異母弟・松平頼之が死去したのを受けて跡を継いだ(会津松平家は容保の実子・容保の実子・容大が相続)。明治17年(1884年)に子爵に叙爵した。

外部リンク

松平喜徳 - Wikipedia

関連タグ

華族 水戸徳川家 会津松平家 守山松平家 子爵

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