昭和19年に東京都に生まれ、田中角栄の邸で使用人をいじめて育つ。
田中元首相の地盤・看板・鞄・濁声を受け継いだ。
平成13年、小泉純一郎内閣の閣僚人事で、田中真紀子が外務大臣にされた。このダメージは未だに響いている。小泉のポピュリズムにより、政治のレベルが一段と低く落とされ大いに国益が損なわれた。
独善的で感情的なファシストタイプの田中真紀子に外交の基礎知識はなく、国内的には官僚組織の破壊に動き、対外的には中国に阿った。しかし「官僚批判さえすれば馬鹿なマスコミと大衆に受ける」という品のないパフォーマンスに大衆が共感を覚え、田中の支持率が90パーセント近くにも上る異常事態となった。
大衆の人気取りと自分の外交知識のなさの隠れ蓑として、官僚批判を利用したのであった。
田中は中国には自分の言葉で文句を言うことはできず、見解を述べる時は義務的に官庁メモを読み上げるだけになるが、日本の靖国神社には中国が怒るので公式参拝できないにもかかわらず、米国ではパフォーマンスとしてアーリントン墓地に行った。
平成21年、民主党に入党し、夫の田中直樹も自民党から民主党に籍を移した。
語録
- 「トイレ行かせてください!」
- 「パニックになっておりました」
- 「法的な措置も考えます」