概要
富士通が1989年から1997年にかけて製造・販売していたパソコン。
一言で言うと変態パソコン。
どういうことなの……
1974年にNECがACOSシリーズを発売して以来の富士通NEC骨肉のメインフレーム10年戦争を(世界の半分を巻き込みながら)展開していた富士通だったが、この頃伸び始めたパーソナルコンピュータの分野では16bit機の初期段階で商品開発に失敗してしまい、PC-9800シリーズを展開するNECに大きく水をあけられていた。
そこで富士通が起死回生の逆転を狙って開発したのがこのTOWNSである。
発売当時、Apple以外の大手PCメーカーの多くが「この性能をこの価格で実現するのはわが社では無理」と公言させてしまったほどの、GUI前提の高解像度同時発色表示、マルチPCM内蔵の音源機能、標準搭載のCD-ROMなどを持っていた。
ではなぜ富士通には出来たのか。
16bit初期に失敗していたのが功を奏したのだ。
TOWNSの性能は「Intel80386の性能を極限まで引き出す」このことによって実現したのである。
元々x86シリーズはメモリアドレスの取り扱いに難があり、所謂286プロテクトモード問題として、初期からシリーズを採用した16bitパソコンと、その上位機種として80386を搭載した32bitパソコン、そしてOSであるMS-DOSにソフト開発の壁として立ちはだかっていた。
しかしTOWNSは最初から386で開発がスタートしたので286互換は考えなくてよかった。一応、開発の叩き台としてビジネス機FMRがあるが、FMR自体富士通のメインフレームFACOMを採用していた関係で少数の企業が購入していたぐらいで、一般向けには店頭販売されてすらいない状況だったから、互換性は無視してかまわなかった。
それに加えて縦型CD-ROMを搭載したシティグレーのスタイリッシュなデザインは、それまでアイボリーホワイトが標準だったパソコンのイメージを大きく変えるもので、好意的に受け入れられた。
一言で言うと変態パソコン。
FM-TOWNSとアフターバーナー
本機はゲーム対応のため強力なスプライト機能を搭載。これによりアーケードゲームの移植が期待されてローンチソフトにSEGAのアフターバーナーが選ばれ、発売前の宣材写真ではアーケード版と遜色のない出来で期待が高まったが、実際に店頭に並びデモが始まるとカクカクとした動きなど低い完成度に失笑を買った。
これは、スプライトの表示方式に当時最先端のフレームバッファ方式を採用したのが主な原因。フレームバッファ方式はメモリが許す範囲であれば表示個数に制限が無い反面(※)、CPUやメモリ転送速度への負荷が大きく、表示数が一定以上になり処理やデータ転送が追いつかなくなるとフレームレートが極端に落ちる特性があり、アーケードでは複数CPU搭載&描画性能の高いXボードを採用し表示キャラクター数が極端に多くフレームレートが高いアフターバーナーの移植においてはその弱点を露見させてしまう結果となったのである。
(※)一方、ファミコンなどに採用されたラインバッファ方式では1ラインあたりに横にならべられる数の制限と総表示数がありこの制限をこえると超えた分が画面から消える(この影響で画面上にチラツキが見えてしまう)。
ちなみに1/60秒(1フレーム)内に表示できるのは386機と互換モードでは200パターン程度(画面の80%相当を埋められる枚数)で、それ以上にすると、表示の更新自体がさらに1フレーム遅くなる。これは、以降の高速機で特殊な操作をすればメモリーウエイトがなくなり上限が増えるものの、メモリーウエイトが重かったデビュー当時の仕様下では1フレーム内で処理出来る許容限界を完全に超えるため 「フレームレートを優先してキャラクタ数を上限以内になるよう間引く」か「フレームレートを諦めてキャラクター数を維持する」2択とならざるを得ず、アフターバーナーⅡでは後者が選択されたようである。
ただし、他のアーケード移植系のソフトでは描画について問題視されたことはないため、TOWNSの描画性能が低いのではなく単純にアフターバーナーの「AC版からTOWNSにコンバートする際の要求性能が高すぎた」ことが問題であったとも言える。
移植によりBGMが改善されたブランディア
同じアーケード移植系ソフトで対照的だったのが、VINGから発売されたブランディア(商品名は「ブランディアplus」)。この作品は、アルュメから発売されたアーケード版では4小節の繰り返しでしかなかった上に4曲しか存在しなかったBGMが、使われなかった1曲を除き作り直された。さらに、ステージごとに異なるBGM7曲が新たに作られるようになっただけでなく、各キャラクターごとのエンディングBGMも作られている(ディオクレスのエンディングのみアーケード版のエンディングBGMを拡張した内容となっている)。
このBGM改善はPC-9801版及びPC-9821専用版(「ブランディア98」)も同様である。
Marty
FM TOWNS Martyという、ゲーム機として機能を絞ったサブセットハードが存在する。当時社内でパソコンの画面をTVに直接出力することを可能にする1チップタイプのスキャンコンバータを完成したことを受けて企画された。このチップの装備により、640×480ドット(VGA相当の画面解像度)の画像をノンオプションで一般のテレビでTOWNSのソフトがそのまま動作するという画期的な構成であった。
しかし、ハード仕様においてはCPUが386sx16MHzと初期型相当であり処理能力も低スペックなうえ、メインメモリも2MBとTOWNSとしては最低限でストレージなどの増設もできず(一応基板上には拡張端子が装備されてはいたものの実際の製品では該当箇所に蓋がされていて使用不能であった)実用には難があった。 そして、利用出来るソフトについてもマーティー発売以降に発売日されたソフトについては対応ソフト以外起動しないよう一種のプロテクトが施され 本機発売前に発売されたソフトのうち旧来のFM TOWNS用ソフトのIPLが書き込まれたソフトとMarty専用のIPLが書き込まれたソフト以外は動作せず(逆にFM TOWNS専用のIPLが書き込まれたソフトは動作不可)、ハードウェア上の互換性が取れなかったりプロテクトに阻まれて起動出来なかったりと実にチグハグな状態であった
(注:Marty発売時点でのFM TOWNS用ソフトの約660タイトル中、Marty対応とされているのは200タイトルほど)。
結果、「パソコンとのゲーム機の中間」という微妙な立ち位置の本機であったが、従来機との互換性がイマイチでゲーム機としてもパソコンとしても中途半端なスペックで非常に使いづらくその割に価格も高かったことから全く普及はしなかった。後に廉価版であるMarty2が投入された他、関連企業である富士通テンから「Car Marty」というカーナビ仕様のものも発売されたがどちらも不評を覆すことはできず失敗に終わり、シリーズテコ入れの為に投入された本機がせっかく堅調に進んでいたFM TOWNSの市場に水をさし人気と製品寿命を大きく縮めるきっかけとなってしまった。
また、本機の失敗は、当時流行していた「マーフィーの法則」にひっかけて、「売れる可能性のない物は売れない」=「マーティーの法則」とも揶揄された。人気商品ベースなら売れるというのは安易な発想であり、ベースが優秀かつ人気があってもユーザーに求められていない仕様では売れないということでもある。実際本機のようにパソコンをベースに機能を簡略化してゲーム機とする安易な手法はピピンアットマーク(Macintoshベース)でも試みられているが本機と同じく大失敗に終わっている。これはコスト要求の強いゲーム機と高品質を画像を要求されるパソコンとは必要なハード仕様が異なるためというのが大きい。(例としては パソコンなら質を支えるために必要な大容量メモリーはゲーム機では必ずしも必要でなく積んでも通常時は余ってしまうため、ただコストを引き上げるだけの無駄な資源となってしまう。)
では必要なハード性能が
なお、全くの余談であるが、映画バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2で2015年のマーティーにクビを宣告する上司の名前がフジツウである。