ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

ジャン・アレジの編集履歴

2024-07-09 20:21:00 バージョン

ジャン・アレジ

じゃんあれじ

フランス出身の元F1ドライバー。妻は日本人女優の後藤久美子。

人物

1964年6月11日生まれ。フランスのアヴィニョン出身。

因みに両親共にイタリアシチリア島からの移民。


F1デビューは1989年フランスGP。ティレルからスポット参戦して4位入賞を果たし、鮮烈なデビューを飾った。また同年国際F3000選手権でもデビューイヤーでチャンピオンを獲得。

翌1990年よりF1フル参戦。フェニックスで開催された開幕戦アメリカGPでは一時トップに立ち、アイルトン・セナと激しいバトルを展開。惜しくも初優勝はならなかったが、これで一躍次期チャンピオン候補と目されることとなる。

1991年には念願のフェラーリに移籍。しかしマシンの戦闘力不足やチームの内紛に悩まされ、本人もチームへの不満を公言していた。


1995年カナダGPにてF1参戦92戦目にして念願のF1初優勝を果たす。しかしチームオーダーに従わなくなったアレジはチーム監督のジャン・トッドと不和になり、同年限りでフェラーリから離脱、以降はベネトンやザウバー、それにプロストGPなど中小プライベーターを転々とすることになる。結局、彼のF1優勝はこの一度限りであった。

私生活ではこの年に日本の女優・後藤久美子と結婚。後藤との間に2男1女を授かる。


2001年にジョーダンでF1を引退した後はツーリングカーレースを中心に活動。2012年にはロータスでインディ500にも参戦したが、自身の衰えとマシンの戦闘力不足でリタイアし、同年末でレーシングドライバー活動から正式に引退した。


長男のジュリアーノ・アレジもレーシングドライバーを志し、FIA-F2からF1を目指していたが断念。現在は日本のレーシングシーンで活躍しており、TOYOTA GAZOO RacingのワークスドライバーとしてSUPER GTスーパー耐久へ参戦している。

また長女のエレナ・アレジ・後藤も日本で芸能活動を行っている。

二人とも幼少期は日本で過ごしたため、片言ではあるものの通訳無しでも十分通じる日本語を話せる。

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました