ジャン・アレジ
じゃんあれじ
F1デビューは1989年フランスGP。ティレルからスポット参戦して4位入賞を果たし、鮮烈なデビューを飾った。また同年国際F3000選手権でもデビューイヤーでチャンピオンを獲得。
翌1990年よりF1フル参戦。フェニックスで開催された開幕戦アメリカGPでは一時トップに立ち、アイルトン・セナと激しいバトルを展開。惜しくも初優勝はならなかったが、これで一躍次期チャンピオン候補と目されることとなる。
1991年には念願のフェラーリに移籍。しかしマシンの戦闘力不足やチームの内紛に悩まされ、本人もチームへの不満を公言していた。
1995年カナダGPにてF1参戦92戦目にして念願のF1初優勝を果たす。しかしチームオーダーに従わなくなったアレジはチーム監督のジャン・トッドと不和になり、同年限りでフェラーリから離脱、以降はベネトンやザウバー、それにプロストGPなど中小プライベーターを転々とすることになる。結局、彼のF1優勝はこの一度限りであった。
私生活ではこの年に日本の女優・後藤久美子と結婚。後藤との間に2男1女を授かる。
2001年にジョーダンでF1を引退した後はツーリングカーレースを中心に活動。2012年にはロータスでインディ500にも参戦したが、自身の衰えとマシンの戦闘力不足でリタイアし、同年末でレーシングドライバー活動から正式に引退した。
長男のジュリアーノ・アレジもレーシングドライバーを志し、FIA-F2からF1を目指していたが断念。現在は日本のレーシングシーンで活躍しており、TOYOTA GAZOO RacingのワークスドライバーとしてSUPER GT・スーパー耐久へ参戦している。
また長女のエレナ・アレジ・後藤も日本で芸能活動を行っている。
二人とも幼少期は日本で過ごしたため、片言ではあるものの通訳無しでも十分通じる日本語を話せる。