→詳細は懐良親王を参照。
概要
最初は朝貢を嫌がっていた懐良親王だったが、優位に立ちつつある北朝に対抗する為か、僧である祖来に
国書を持たせて明に入朝。
明も倭寇討伐を条件に懐良親王の入朝を受け入れ、親王は明に日本国王として扱われた。
しかし、拠点にしていた大宰府が陥落して以降、親王は勢力を失っていくこととなる。
尚、明側の資料には親王の死後と思われる時期にも日本国王良懐が登場し、何者かが懐良親王を名乗っていたのではないかとも言われている。
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