→詳細は懐良親王を参照。
概要
最初は朝貢を嫌がっていた懐良親王だったが、優位に立ちつつある北朝に対抗する為か、僧である祖来に
国書を持たせて明に入朝。
明も倭寇討伐を条件に懐良親王の入朝を受け入れ、親王は明に日本国王として扱われた。
しかし、拠点にしていた大宰府が陥落して以降、親王は勢力を失っていくこととなる。
尚、明側の資料には親王の死後と思われる時期にも日本国王良懐が登場し、何者かが懐良親王を名乗っていたのではないかとも言われている。
ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
にほんこくおうりょうかい
0/3000
編集可能な部分に問題がある場合について
記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。
報告を送信しました
ピクシブ百科事典では今後の開発の参考にするため、フィードバックを募集しています。あなたが使っていて感じたこと、見つけた問題をお寄せください。
いただいたフィードバックへの返信は行っていません。ご利用の際にお困りの場合は、ヘルプセンターをご覧ください。
個人情報は含めないようにしてください。
送信しました
またお気付きの点がありましたら、お気軽にフィードバックをお寄せください。