慶応時代生まれ、昭和時代没。現在の岩手県出身。
政治家、外交官、学者、農学者、大学教授、教育者、など、幾ら肩書をつけても語れない日本人の一人。平成の日本人には5000円札の肖像といえば分るのかもしれない。
札幌農学校の俊才として、内村鑑三らと友情を育んだ。
その後、北海道で職を得るが、東京大学に入学、しかしその教育レベルに飽き足らずドイツ、アメリカに留学した。そこでキリスト教クェーカー派に入信、生涯の伴侶となるメリー夫人と出会う。
帰国後、札幌農学校や遠友夜学校などの教諭を引き受け、八面六臂の活躍を行ったが、そのために精神を病み、その療養中に名著『武士道』を著す。
その後は東京女子大学や新渡戸学園の校長、女性の地位を上げるための連載、津田梅子や新島襄の後援、貴族院議員、国際連合の前身である国際連盟の事務局副次長など、生涯にわたって、日本および国際社会のために貢献した。
第二次世界大戦期に日本軍を批判した(松山事件)こと、および天皇の立場を擁護したことにより国際社会から批判を浴びて晩年は豊かなものとは言えなかった。
しかしながら、平成に生きる日本人は、新渡戸稲造が行った業績から学び取るべきものは多大にある。