ドーハの奇跡
どーはのきせき
概要
ドーハの奇跡とは、サッカーW杯において、カタールの首都ドーハで起きた事件である。
特に日本においては、2つの意味を持つ言葉であり、1993年に起きたドーハの悲劇の裏側としてのドーハの奇跡と、それから約30年後に起きた2022年W杯カタール大会でのドーハの奇跡である。
1993年のドーハの奇跡
1993年に起きたドーハの奇跡とは、カタールで開かれた1994年米W杯アジア地域最終予選で韓国代表がゴール得失点差で日本代表を引き離して奇跡的に本大会に進出した事件。
この事件は、韓国代表にとっては幸運な事件だったが、日本代表にとっては不運な事件だった為、日本側にはドーハの悲劇として伝わる。
脱落の危機から、奇跡的に本大会進出に成功まで
1993年カタールで開かれたW杯アジア最終予選、予選リーグD組で1位を占め、最終予選に進出した韓国はサウジアラビアとイラクとの試合では引き分け、イランとの試合で勝利したが、日本に敗北し、3位を占め、本大会進出に暗雲が立ち込める事になった。
守勢に追い込まれた韓国は10月28日に開かれる最終戦で、日本、イラク、サウジアラビアそしてイランの中で一チームが敗れるか引き分けることを願ってこそするしかない状況であり、ついに10月28日に最終戦が訪れる。
カタールSC競技場では韓国と既に脱落を決めた北朝鮮との試合が行われて、ハリーファ国際スタジアムでは、イランとサウジアラビアの試合が行われ、そして…アル・アリ競技場では日本とイラクの試合が行われた。
本大会進出の成否がかかった北朝鮮との試合で前半戦では得点なしに終わり、サウジアラビアとイランの試合で2:1でサウジアラビアがリードしており、日本とイラクの試合では日本が1:0に先駆けて行っていた。
そして運命の後半戦、韓国と北朝鮮の試合では韓国が河錫舟,高正云,黄善洪選手の得点で3-0でリードしていった。
サウジアラビアとイランの試合で4-2で依然としてサウジアラビアがリードしており、日本とイラクの試合では、イラクが同点ゴールを決め、勝負は振り出しになった。
しかし、日本とイラクの試合で中山選手が逆転ゴールを成功させ、サウジアラビアとイランの試合では、イランが挽回ゴールを成功させたが、4:3でサウジアラビアが先に本大会進出に成功した。
日本の逆転ゴールをはじめ、泣きっ面に蜂でサウジアラビアの本大会進出の成功という泣きっ面に蜂の状況に、韓国の本大会進出の可能性は更に低くなった。
韓国代表チーム選手らは、自分たちが本大会進出に失敗したというニュースを聞き、これで韓国は1994年米国W杯本大会進出に失敗したかに思われた。
しかし、日本とイラクの試合は、終了直前、オムラム・サルマン選手のヘディングシュートが日本のゴールに入り、引き分けで終了した。
これにより、日本と韓国の勝ち点は同じく6点になったが、ゴール得失差により韓国は3位から2位に上がり、奇跡的に本大会進出を確定し、代わりに日本が3位転落。本大会進出に挫折する事になった。
韓国が奇跡的に本大会に進出したというニュースを聞くようになると、ファンたちは歓呼し、選手たちはお互いに抱き合って喜んだ。このことによって韓国は喪家でお祭りに変わった瞬間だった。
選手たちは絶望の涙を感激の涙に変えて自国の本大会進出を祝った。これで韓国は1986年メキシコW杯、1990年イタリアW杯に続き、3回連続でW杯本大会進出に成功するようになる。
その後の話
最終予選以後自国リーグであるKリーグに対する関心が注がれ、一律的な戦術と選手構成、劣悪な環境などに対する批判に対する世論が殺到し、韓国サッカーが発展できるようになるきっかけになった。
2022年カタール大会にて
かつてドーハの悲劇により本大会出場を逃した日本は、それから30年近い間に大きく成長し、W杯の本戦出場の常連国になる。
その一方で、グループリーグを突破して決勝トーナメントにまで進出するのは難しく、2002年日韓大会、2010年南アフリカ大会、2018年ロシア大会で記録されるばかりだった。
そんな中、カタール大会ではグループEにて、ドイツ、スペイン、コスタリカの4カ国での戦いが繰り広げられる事になった。
下馬評では、欧州サッカーの二強であるドイツとスペインとの評価が圧倒的な中、日本代表を率いる監督は、かつてのドーハの悲劇を味わった日本代表選手である森保一であった。
そんな中始まった初戦、ドイツvs日本は、ドイツが前半1点を先制する中、日本は得点差を1-0のままに抑え、後半で同点を決めると、まさかの逆転ゴールを決めて1-2の勝利を決める。
当時、FIFAランキング11位のドイツを相手に、24位の日本が劇的な勝利を収めるジャイアントキリングぶりに、日本のみならず、世界のサッカーファンを驚かせた。(ドーハの歓喜を参照。)
しかし、続くコスタリカ戦ではあっさりと負けを喫し、日本の劇的な勝利は幸運が味方した一度きりのものだと思われた。また、スペインvsコスタリカ戦では、スペインはコスタリカ相手に7点もの大量得点を決めての勝利という絶好調ぶりを見せ、その圧倒的な強さを世界中のサッカーファンに再認識させることになった。
だが、最終戦、スペインvs日本戦で、再び大番狂わせが起こる。
ドイツ戦同様、日本は前半でスペインに先制点を許すものの、1-0を維持したまま後半戦に突入し、後半で同点に追いつくと、再び逆転となる追加点を決める。(三笘の1mmを参照。)
この追加点が決め玉となり、日本はグループリーグを首位で通過かつてドーハの地で味わった悔しさを塗り替える大躍進劇を見せる事になった。
この圧倒的な逆転劇をかつてのドーハの悲劇に準えて、多くの日本国民がドーハの奇跡と呼んだ。
余談ながら、日本の起こしたジャイアントキリングは、このグループEのみならず、カタール大会全体に波紋を呼ぶ大きなものであり、スペインvs日本戦の裏でドイツvsコスタリカ戦も並行して行われており、4カ国がそれぞれ得点を決める度に得失点差による決勝進出国が変わり、一時は優勝候補であったドイツとスペインが同時に敗退する可能性がある瞬間さえもあった。
最終的には、今大会で決勝トーナメント進出を決めたのは、日本とスペインだったが、日本の逆転とスペインの大量得点が勝負の決め手になっており、開戦前は二強二弱といわれながらも、思いもよらない死のグループとなった。
サッカーに絶対は無いと言うことである。