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MP4/4の編集履歴

2024-09-24 23:00:40 バージョン

MP4/4

えむぴーふぉーふぉー

MP4/4は、イギリスのレーシングチーム「マクラーレン」と日本の「ホンダ」がタッグを組んだ1988年のF1マシン。

概要

マクラーレンMP4/4は、1988年のF1に投入されたF1マシン。マクラーレンは、新たにゴードン・マーレーが提唱するローライズコンセプトを採用し、太く大柄だった前年型のMP4/3とは違い細く低くコンパクトなデザインに移行し前年まで使われていたポルシェTAGエンジンから、ホンダエンジンに切り替え、ドライバーもアラン・プロストロータスから移籍してきたアイルトン・セナのセナプロコンビとともに、前年逃したドライバーズチャンピオンとコンストラクターズチャンピオンを奪還するべく、ターボエンジン最後のシーズンとなる1988年のF1に挑むことになった。



驚異的な成績

この年、MP4/4はとてつもない成績を残した。それは、16戦15勝(勝率937)ポールポジション15回、ファステストラップ10回、ワンツーフィニッシュ10回という成績を残し、全てのレースでどちらかが優勝を果たし、唯一勝利を逃したイタリアGP以外全てでMP4/4はF1を完全に支配した。

マクラーレンがこの年に獲得したポイントは199ポイント。65ポイントを獲得した2位・フェラーリの実に3倍以上の差をつけ、ドライバーズランキングもセナとプロストの一騎打ちであった。7勝したプロストと8勝したセナのドライバーズチャンピオン争いでは獲得数ポイントではプロストが有利だったものの、当時のF1で採用されていた有効ポイント制によってベスト11戦のリザルトが有効とされ、ドライバーズチャンピオンはセナが獲得した。


でもなんでこんなに勝てたの?

MP4/4が16戦15勝という圧倒的成績を叩き出した最大の理由、それは当時のレギュレーションにマッチしたホンダエンジンとマクラーレンチームに最高のデザイナーとドライバーが揃っていたということが大きい。


この年を最後にターボエンジンは使用禁止になる事が決まっており、そして燃料搭載量が195Lから150Lになるなど、ターボエンジン車に求められる燃費がより厳しくなってしまう。

しかしホンダはこの条件を逆手にとり、ホンダが誇る低燃費に関する技術を使い、他のメーカーエンジンよりも有利なエンジンを作ることができた。

また、前年からブラバムからマクラーレンに加入していたゴードン・マーレーの手による全高が低く低重心で、ドラッグが少ない新型車のデザインは低重心なホンダ製V6ターボエンジンと元々相性が良かった上、マーレ―からの希望でエンジン搭載位置をさらに下げるための改良を施したことで優れた運動性能を発揮。

 それに、前年までに2度のワールドチャンピオンを獲得して既に円熟期に入っていた経験豊かなプロストとデビュー5年目の新進気鋭だが一発の速さが光る天才ドライバーのセナという2人のドライバーが乗ることで、シーズン16戦15勝という圧倒的な成績残す事が出来たのだ。

 

そして、ここからマクラーレン・ホンダの黄金時代が始まって行くのとともに、他から抜きんでたパフォーマンスを持つことでチーム内にしかライバルが居ない状況となった。

しかし、この事がきっかけでセナとプロストの関係に溝が生まれてしまい、さらに前述の関係悪化を切っ掛けとするプロストのフェラーリ移籍や前述のターボエンジンの禁止で大きく重いNAエンジンへの移行による重量バランス悪化、さらには天才デザイナーであるマーレーの市販車部門への転籍による車体デザインの保守的な性格の強まりなどで徐々にその優位性は失われていくことになる。



余談

シーズン唯一の敗戦

この年のマクラーレンが唯一優勝を逃したイタリアGPも、プロストはエンジントラブルでリタイアしていたものの、セナが首位を走っており、チェッカーフラッグ寸前の所まで来ていた。

しかし残り2周まで来た所で、ナイジェル・マンセルの欠場でこのレースにウイリアムズからスポット参戦していたジャン=ルイ・シュレッサーと接触・リタイアしてしまったため全戦優勝はならなかった。(最終的に優勝したのは地元フェラーリゲルハルト・ベルガー)

 なお、シュレッサーの叔父のジョー・シュレッサーがホンダF1第一期でRA302をドライブして事故死しているため、これと因縁付けて語られることもしばしあるが、この事故自体が2人のドライバーのミスと逃げ場のないコース状況が重なったことによって偶然起こってしまったレーシングアクシデントであり、双方とも意図的に事故を起こそうとしたものではない。

実際、セナもシュレッサーの状況に理解を示しており、二人の関係は以後も良好で、モナコでしばし会う仲だったという。


ホンダエンジン

マクラーレンがこれだけの好成績挙げた理由として、良くホンダエンジンの性能が高かった事が挙げられるが、(前述のように)それだけで勝ち取ることが出来る程、F1は決して甘いものではない。

その証拠として、前年の1987年からホンダエンジンを搭載していたロータスは(マクラーレンと同じエンジンを搭載していた事から)好成績を期待されたものの、実際はこの年のマシン・100Tのシャシー性能の低さに苦しめられて中団以下の常連に沈み、前年チャンピオンのネルソン・ピケをもってしても、シーズン最高位が3位がやっとであり、コンストラクターズランキングでも、(ターボと比べると)パワーでは劣るが信頼性の高いフォード・コスワースの自然吸気(NA)エンジンを搭載していたベネトン(3位・39ポイント)に大差で敗れて4位(23ポイント)に終わるなど、散々な結果に終わっている。



関連イラスト


McLaren MP4/4
マクラーレンMP4/4(地上の戦闘機シリーズ)

アイルトンセナ 1988
今年はロータスルノーが初戦を征しましたね。



関連タグ

アイルトン・セナ アラン・プロスト McLaren 本田技研工業 F1


後継型 MP4/5

次世代 MP4/6

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