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田中要次の編集履歴

2024-10-21 11:46:18 バージョン

田中要次

たなかようじ

日本の男性俳優。タイトル画どおり「あるよ」が決め台詞。

概要

1963年8月8日生まれ。長野県木曽町(旧木曽福島町)出身。

別名義は「BoBA(ボバ)」。本人によれば「『田中要次』と書いて『BoBA』と読む」とのことで、単なる愛称や変名ではないらしい。


鉄道員から俳優に転向(本人曰く脱線)したという異色の経歴の持ち主。

高校卒業後に地元の長野鉄道管理局に就職。一番はじめの勤務地は塩尻保線地区であった。その後国鉄民営化にともない東海旅客鉄道株式会社(JR東海)に転職する形で仕事を続けた。

なお、国鉄→JR各社に移籍するにあたって、木曽地区を管轄するJR東海に行くか、「長野県」の職場ということでJR東日本に行くかは同僚の中でもまちまちであったようで、2015年放送の『特急乗り継ぎ旅』で長野県松本駅に降り立った際、たまたま田中と国鉄に同期入社したという駅員(JR東日本社員)と再会している。


民営化後の転勤先が愛知県など映画館の多い地域であったことから趣味で映画を見るようになり、そのうちに地域の映画上映サークルと交流を持つようになる。このサークルのつてで映画監督の山川直人と親しくなり、1989年に山川が手がけた佐木伸誘のMVに出演。これがきっかけで芸能界に興味を持つようになる。その後、私生活で交通事故を起こしてしまい、処理をしているときに「何してても失敗したら終わりじゃないか。ならどうせ失敗するなら好きな事をやって失敗しよう」と思い立ち、1990年12月8日にJR東海を退職、俳優を目指して上京する。


上京後は舞台照明の会社に入り、照明技師の安河内央之に師事。

照明助手を務めていた映画『無能の人』の現場で竹中直人に声をかけられ、同作にエキストラとして出演し、以降竹中の作品を中心に、スタッフ兼俳優として様々な映画や舞台に参加するようになる。1994年に映画『119』の現場でトラック事故を起こしたことを機に俳優一本に転向する。

その後数年間バイク便などのアルバイトをしながら俳優活動を行っていたが「自分は役者でしか食わない」と考え、無理をしてアルバイトを辞める。すると自然に周りの監督やスタッフから声をかけられ、俳優業でもそれなりに収入を得られるようになる。


2001年、フジテレビ系列で放送された『HERO』で無口ながらも「あるよ」という決め台詞が特徴的なバーテンダーを演じて話題となり、これがきっかけでバラエティーにも出演するようなった。

以降ドラマ「あなたの番です」「量産型リコ」をはじめ、数多くの作品に出演する華の名脇役として活動を続けている。

2017年『蠱毒 ミートボールマシン』で映画初主演。


2008年から2019年まで、空き家状態になっていた長野県の生家を、木曽町がリノベーションして「田舎暮らし体験住宅」として貸し出していた。返還後は田中本人がDIYで修繕を続け、2024年に民泊施設「魯芭伍屋(ろばごや)6858」としてオープンした。


「MV俳優」を自称するほど、MVをはじめ短編作品への出演が非常に多く、本人が特に力を入れている分野でもある。自身でも監督として短編映画を手掛けている。


私生活では2004年に一般人と結婚。大の猫好きであり、自身のブログやInstagramでもよく飼っている猫たちの写真が投稿されている。



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