「(お飾りのガキと仲良くなって甘い汁吸おう)」
「(あとヒマだから遊んで)」
プロフィール
武力 | 64 | 蛮性 | 57 |
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知力 | 86 | 忠義 | 45 |
政治 | 79 | 混沌 | 90 |
統率 | 70 | 革新 | 38 |
魅力 | 67 | 逃隠 | 91 |
技能:流浪のコミュ力 | 潜伏地の土地条件を問わず反乱を起こせる |
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技能:権謀術数(乙) | 政治10%上昇 |
技能:扇動 | 魅力・交渉15%上昇 |
権力抗争の時の顔 | 思考が顔には出るが、図(※)のように短時間で目まぐるしく変化するため政敵は読み切る事が出来ない |
マーキング・パターン | 合わせ三つ鱗に葡萄蔦 |
※1.この長崎親子は 眼の上のたんこぶ 追い落とすにはどうすればいいか
※2.まず手始めに 奴らが決めた新しい執権は殺すふりをして 脅し追い出す
※3.だが狡猾な奴等は わしに謀反の罪を 着せかねないから 大義名分を考える 必要があるな
※4.はぁー面倒くさ 一端仕切り直しだ 酒を飲みながら 時行殿とでも遊ぼう
概要
逃げ上手の若君の登場人物。
北条高時の実弟にして北条時行の叔父。おでこが広いのと、そのデコに本心が文字として現れるのが特徴。故に良くも悪くも隠し事が出来ない素直な人物と言える。
作中の活躍
鎌倉幕府の中枢にいて、鎌倉陥落時に北条一族が自刃するなか、諏訪頼重に時行を預ける手筈を整え、新田軍の負傷兵になりすまし鎌倉を脱出。
東北を巡り北条残党を集め戦ったが惨敗。諏訪の地で時行と再開を果たす。命など惜しくは無いと語るおでこには「ひたすら死にたくなかった」と本心が現れていた。
逃若党と京都へ視察に行く時、近江の関所で田舎侍の演技をするという芸達者な面も見せた。生き残る為なら惨めな田舎侍になることすら厭わない、この時代の武士としては規格外の人物。その逃げ上手な所は甥である時行に受け継がれている。
京都では西園寺公宗と共に後醍醐天皇暗殺を計画する。が、頼重の未来視通り計画は失敗し京都を脱出する。
1335年、諏訪大社大祝・諏訪頼重・時継親子が北条高時の次男・時行を奉じて乱を起こすと、泰家も合流し一時は足利直義を破り鎌倉を占拠。しかし、直義の兄・尊氏が京より軍勢を率いて下向。
鎌倉幕府残党軍は尊氏の神々しいオーラに戦意を失い瓦解、総崩れとなる。
敗北を悟った諏訪頼重・時継親子は時行ら逃若党を逃がすため、わずかな手勢を率いて時間稼ぎを試みるが、時行は「無駄死には許さない」と涙する。
泰家はこれに対し、
「命を賭けて大切な者を守ることは無駄死にではない」、「頼重のような郎党をもったことを誇ることが主君としての責務だ」
と時行を諭し、自らも再起のため戦場から離脱する。
史実においては、これ以降の記録はなく北条泰家の名前は表舞台から消える。
1337年、後醍醐天皇が南朝を樹立した事に伴い、北条時行は北畠顕家と共に南朝方に帰順する。
時行は、顕家と共に京を収めた尊氏を倒すべく上洛を目指すが、その際に元関東庇番衆の一人であり、時行と因縁のある斯波家長と激突する。
家長が籠もる砦を攻略している最中、無惨な姿となって時行と再会することになる。
中先代の乱の後も折れることなく二度反乱を起こしたが、家長に敗れ捕らえられていた。その後生きた屍と言えるまでに痛めつけられた末に、時行の戦意を削ぐための人質として使われた。
風間玄蕃・夏・顕家の活躍により救出に成功。時行が家長に勝利した後に解放されるが、その際にもかつての闘志は衰えを見せなかった(やるぞ)。
しかし身体は既にボロボロであり、誰が見てもこれ以上の戦いは無理でしかなかった。時行からの必死の訴えと、時行の祖母にして実母である覚海尼からの慰労されたことにより最後の闘志は砕かれ、その額には「恐かった 死にたくなかった 降りたかった 逃げたかった やっと休める」という本音が浮かんでいた。これを最後に歴史の隙間に消えていった。
が、覚海尼の庵で隠棲するにあたって、時行に一つの策を授けていたことが後に明らかになった。