竹中重門は戦国時代〜江戸時代(1573〜1631)の人物(武将)。
概要
父は豊臣秀吉の軍師、竹中重利(竹中半兵衛)。当初は逝去した父の跡を継ぎ、豊臣秀吉に仕え、5000石を賜る(後に6000石になる)。
関が原の戦いの際には当初西軍に属していたが、井伊直政の差し金により東軍に鞍替え。西軍の小西行長を捕縛し、徳川家康より感状を受けた。
その後、領土を安堵され美濃岩出山6000石の旗本(ただし参勤交代を行う身分)となる。林羅山に師事し、寛永8年に『豊鑑』を書いた。
pixivにおいて
この武将は日本史の上ではあまり目立った活躍はしていない。しかしながら、若くして活躍した(小牧長久手の戦いの際11歳)ことにより、創作としては人気のある武将であり、pixivにおいては主として若い姿のイラストが多いとされる。