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埼玉西武ライオンズの編集履歴

2020-02-12 19:14:29 バージョン

埼玉西武ライオンズ

さいたませいぶらいおんず

日本のパシフィック・リーグに所属するプロ野球球団の一つ。保護地域は埼玉県。現在の親会社は西武鉄道。

概要

1950年福岡県福岡市において、西鉄クリッパースとして創設。

1951年西日本パイレーツと合併し、西鉄ライオンズに改称。

1973年太平洋クラブライオンズ1977年クラウンライターライオンズとなり、1979年西武鉄道に身売りし西武ライオンズとなり、埼玉県所沢市へ移転。

2008年に現在の名称に改称。

本拠地はメットライフドーム


キーワード・歴史

西鉄の描いた九州からのプロ野球参戦、「神様仏様稲尾様」

1949年末、埼玉西武ライオンズの前身である西鉄クリッパーズ福岡市に誕生。

戦前西日本鉄道(以下西鉄)は大洋軍(後に西鉄軍と改称、1943年に解散。大洋ホエールズ、後の横浜DeNAベイスターズとは無関係)という球団を経営していたことがあり、戦後の1949年年初にそれを復活させようとするが頓挫していた。また、西鉄は当初西日本新聞と共同で球団を設立しようとしたがそれができず、後に西日本新聞は単独で西日本パイレーツを結成している。

パ・リーグに所属していた西鉄に対し、セ・リーグ巨人戦などのドル箱を抱えていた西日本の方が人気・観客動員数で上回っていたが、西日本の上層部が経営の素人で経営悪化を招き、それを察知した西鉄側が早々に合併を提案。翌1951年からはチーム名を西鉄ライオンズに改称した。

合併初年度の1951年に巨人から三原脩を迎え、また合併元の西日本から主力選手を獲得。1954年南海ホークスとの激しい争いの末初優勝を決めた。

1956年に初の日本一。1957年も連覇し、さらに1958年は日本シリーズで稲尾和久が4連投4連勝の獅子奮迅の活躍で日本一に導き、見事3連覇を達成した。

その後も大下弘中西太豊田泰光仰木彬高倉照幸野武士軍団と呼ばれることになる名選手を擁した西鉄は常にAクラスを維持。1964年に一度Bクラスに転落した以外は安定した強さを誇った。


「黒い霧事件」からの暗黒時代、埼玉移転

1967年が西鉄最後のAクラス入り。以降、成績が低迷する。さらに1969年永易将之八百長行為を行ったとして球界を永久追放処分にされる。この事件が発端となり「黒い霧事件」に発展。この騒動は球界全体を巻き込み、西鉄は当時の若きエースだった池永正明を含む3人が1970年シーズン中に球界を永久追放される(池永は後に復権)。このことで戦力と人気の低下に歯止めがかからなくなり、西鉄は1972年に球団経営から撤退。オフにチーム名を太平洋クラブライオンズと改称。

1973年から1974年にかけてロッテオリオンズとの間に「遺恨試合」が勃発し人気回復を図るも状況は好転せず、太平洋クラブもわずか数年で球団をクラウンガスライターへ売却、クラウンライターライオンズへと改称。しかしクラウンライターもわずか2年で球団を手放し、1978年オフに西武鉄道(正確には西武グループの開発業者「国土計画」、後の「コクド」)がライオンズを買い取って本拠地を埼玉県所沢市へ移転。球団名を西武ライオンズとした。なお、この際に一旦福岡時代の歴史は消し去られ、復活するのは2008年の事になる。

西武になってからもしばらくはBクラスが続く。


西武黄金時代

1982年広岡達朗が監督に就任。チーム改革を行う。その年のうちにパ・リーグ優勝を果たし、日本シリーズでも中日ドラゴンズを破って24年ぶり日本一に輝く。

1983年も連覇。このころの戦力には田淵幸一山崎裕之といったベテランから後の黄金時代を支える秋山幸二石毛宏典らがいた。

1986年からは森祇晶が監督に就任。打撃・守備では秋山、石毛に加え、清原和博オレステス・デストラーデ伊東勤辻発彦平野謙田辺徳雄ら、投手陣は渡辺久信郭泰源工藤公康石井丈裕鹿取義隆らがずらりと並んでいた。1986年から1994年までの9年間で優勝は8回、日本一6回という驚異的な記録を達成した。

1994年限りで森が監督を勇退、翌1995年からはかつて西鉄から西武までの過渡期を支えた東尾修が就任した。このころになると秋山がダイエーにトレードされ、またこの頃導入されたFAで石毛、工藤、清原などと主力が次々チームを離れるようになる。それでも新たに松井稼頭央髙木大成といった若手の有望選手をそろえて1997年1998年と2連覇。それ以外の年でも毎年優勝争いに加わるなどパ・リーグの強豪としての地位を守り続けた。

ドラフトでは1998年に松坂大輔を指名。プロ初シーズンの1999年には新人王獲得など期待に応えた。この他投手陣には西口文也森慎二などがいたがこの頃の西武は極端な貧打に悩まされていた。

2002年から2年間は伊原春樹が指揮を執る。特に2002年はアレックス・カブレラがシーズンタイ記録となる55本の本塁打を放ち、松井がトリプルスリーなどの活躍で貧打を払拭して見事リーグ優勝するも、日本シリーズでは巨人にスイープを喰らって敗戦。2003年は2位に終わり、現役を引退した伊東勤が監督に就任して伊原は退任。

伊東監督1年目の2004年はレギュラーシーズンでは2位だったもののプレーオフ福岡ダイエーホークスを破り優勝。日本シリーズでは激闘の末中日を破って12年ぶりの日本一に輝いた。

2005年2006年とAクラスを確保するが2007年は26年ぶりのBクラスに。伊東が引責辞任し、後継に渡辺久信が就任。また、地域密着をはかって2008年よりチーム名を現在の埼玉西武ライオンズとした。

なお、2004年に発覚した親会社の不祥事に伴い2006年に親会社がコクドからプリンスホテルへ、その後2008年に上記のチーム名変更と共に西武鉄道へと変更されている(グループ内異動のため身売りではない)。


「埼玉西武ライオンズ」へ

2008年は野手陣は片岡治大栗山巧中島裕之中村剛也G.G.佐藤、投手陣は涌井秀章岸孝之帆足和幸といった若手が台頭。それを西口、石井一久平尾博嗣江藤智といったベテラン勢が支え圧倒的な強さでリーグ優勝し、日本シリーズでも巨人との激戦を制し日本一。2009年は4位に終わるものの、2010年は再びAクラスの2位に返り咲き。ドラフトでは2009年に菊池雄星、2010年には大石達也といったアマチュアの目玉選手を相次いで獲得している。

2011年は3位、2012年は2位に終わっている。

2013年は土壇場で2位に食い込むも、クライマックスシリーズファーストステージで敗退。オフに渡辺監督が辞任を発表し、後任には伊原が10年ぶりの復帰となった。

しかし、2014年は調子が上向かず、伊原はシーズン途中で休養。田邊徳雄が代行で指揮するが、一向に調子が上がらないまま、あわや35年ぶりの最下位かと思われたが、前年優勝した楽天が最下位に落ちたことで、どうにか最下位は免れた。

2015年2016年もそれぞれ4位に終わったことで、田邊監督は無念の辞任。黄金時代の二塁手だった辻発彦が監督に。

2017年は100勝ペースで勝ち続ける楽天・ソフトバンクを夏場に怒涛の13連勝で猛追。菊池雄星が最優秀防御率を獲得、また山川穂高外崎修汰が覚醒、源田壮亮が球団新人最多安打・盗塁を達成し2位。しかしCSは1stで楽天に敗れた。

2018年は山賊打線と呼ばれた打線が猛威を振るい、10年ぶりのリーグ優勝。ところがCSではあいつらのせいもあって2勝4敗でソフトバンクに敗れ、日本シリーズ出場はならなかった。

2019年は菊池、浅村栄斗炭谷銀仁朗ら主力が相次いで移籍し前途多難な船出となる。序盤はソフトバンクの陰に隠れるも、中村剛也や新加入のザック・ニールの活躍もあり8月から怒涛の追い上げを見せ、9月以降はソフトバンクとの熾烈な優勝争いを演じた。最終的には最大8.5あった首位とのゲーム差をひっくり返し2年連続のリーグ優勝を飾った。打撃タイトルも森友哉がパ・リーグ54年ぶりの捕手での首位打者を獲得するなど、打撃タイトル6部門中5部門を西武の選手が獲得し、前年よりも向上した打撃が活路を開いた。しかし、クライマックスシリーズでは、またまたあいつらがA級戦犯となり、2年連続でソフトバンクに敗れた。


成績

※現在の名称になった2008年以降を記述する。

それ以前の成績は、1972年までは西鉄ライオンズ1976年までは太平洋クラブライオンズ1978年まではクラウンライターライオンズ2007年までは西武ライオンズをそれぞれ参照。


2008年1位渡辺久信
2009年4位渡辺久信
2010年2位渡辺久信
2011年3位渡辺久信
2012年2位渡辺久信
2013年2位渡辺久信
2014年5位伊原春樹田邊徳雄
2015年4位田邊徳雄
2016年4位田邊徳雄
2017年2位辻発彦
2018年1位辻発彦
2019年1位辻発彦

pixivでは

タグとしては西武ライオンズライオンズなどに分散される。

同じ埼玉県つながりでらき☆すたや、最近では2012年入団の小石博孝(こいし・ひろたか)投手つながりで東方project古明地こいしとのコラボ絵もちらほら増えてきている(なお、らき☆すたとは公式でコラボされ、柊かがみ柊つかさが西武のユニフォームを着た公式絵が存在する)。

マスコットレオライナも人気。


選手一覧

2020年2月5日現在

監督・コーチ

一軍

背番号名前役職
85辻発彦監督
83馬場敏史作戦兼守備・走塁コーチ
74西口文也投手コーチ
81豊田清投手コーチ
84秋元宏作バッテリーコーチ
76阿部真宏打撃コーチ
86赤田将吾打撃コーチ
87黒田哲史内野守備・走塁コーチ
79小関竜也外野守備・走塁コーチ

二軍

背番号名前役職
77松井稼頭央監督
92清川栄治投手総合コーチ
90杉山賢人投手コーチ
91許銘傑投手コーチ
82野田浩輔バッテリーコーチ
80嶋重宣打撃コーチ
89平尾博司打撃コーチ
75高木浩之内野守備・走塁コーチ
70佐藤友亮外野守備・走塁コーチ
88上本達之育成コーチ

三軍

背番号名前役職
71田邊徳雄統括コーチ
93青木勇人投手コーチ

所属選手

投手

背番号名前備考
11今井達也
12渡邉勇太朗
13髙橋光成
14増田達至
15宮川哲2019年ドラフト1位
16松坂大輔中日から移籍
17松本航
18多和田真三郎
19齊藤大将
20浜屋将太2019年ドラフト2位
21十亀剣
23野田昇吾
25平井克典
26粟津凱士
27内海哲也
28森脇亮介
29小川龍也44から背番号変更
30榎田大樹
33リード・ギャレット新外国人
34佐野泰雄
36伊藤翔
40田村伊知郎
41井上広輝2019年ドラフト6位
44與座海人育成から支配下登録
45本田圭佑
47松岡洸希2019年ドラフト3位
48武隈祥太
49ショーン・ソリン新外国人
50中塚駿太22から背番号変更
54ザック・ニール
57國場翼
61平良海馬
64上間永遠2019年ドラフト7位
66相内誠41から背番号変更
67藤田航生
120出井敏博育成選手・2019年育成ドラフト1位
123高橋朋己育成選手
125東野葵育成選手
126大窪士夢育成選手

捕手

背番号名前備考
2岡田雅利37から背番号変更
10森友哉選手会長
37柘植世那2019年ドラフト5位
38牧野翔矢
62駒月仁人
78齊藤誠人
127中熊大智育成選手

内野手

背番号名前備考
0水口大地
3山川穂高33から背番号変更
4山野辺翔
5外崎修汰
6源田壮亮キャプテン
31佐藤龍世
32永江恭平
39呉念庭
51西川愛也
52山田遥楓
56川野涼多2019年ドラフト4位
59森越祐人阪神から移籍
60中村剛也
63綱島龍生
99エルネスト・メヒア

外野手

背番号名前備考
1栗山巧
7金子侑司8から背番号変更
9木村文紀
22コーリー・スパンジェンバーグ新外国人
46鈴木将平
53愛斗
58熊代聖人
65戸川大輔71から背番号変更
68岸潤一郎2019年ドラフト8位
72川越誠司
73高木渉


過去に所属した選手

秋山幸二

秋山翔吾

浅村栄斗

安部理

石井一久

石井茂雄

石井貴

石井丈裕

石井義人

石毛宏典

伊東勤

稲尾和久

犬伏稔昌

伊原春樹

岩崎哲也

植田幸弘

江草仁貴

江藤智

仰木彬

大石達也

大久保博元

大下弘

大崎雄太朗

大田卓司

大塚光二

大友進

大沼幸二

岡村隆則

岡本篤志

岡本慎也

岡本洋介

長田秀一郎

鬼崎裕司

小野和幸

小野和義

小野寺力

貝塚政秀

垣内哲也

片岡治大

片平晋作

鹿取義隆

金森栄治

河田雄祐

菊池雄星

岸孝之

木村昇吾

清原和博

工藤公康

後藤武敏

黒田正宏

小石博孝

後藤光貴

小林宏

斉藤彰吾

坂田遼

坂元弥太郎

佐々木誠

G.G.佐藤

潮崎哲也

柴田博之

清水崇行

新谷博

杉本正

鈴木健

炭谷銀仁朗

高木大成

高橋直樹

高山郁夫

高山久

竹下潤

竹原直隆

立花義家

谷中真二

田淵幸一

デニー友利

土井正博

土肥義弘

笘篠誠治

豊田泰光

中﨑雄太

中嶋聡

中島裕之

中西太

奈良原浩

西岡良洋

西崎幸広

野上亮磨

野村克也

橋本武広

東尾修

平野謙

福地寿樹

藤田太陽

船田和英

古沢憲司

帆足和幸

星孝典

星野智樹

細川亨

MICHEAL

牧田和久

松永浩典

松沼博久

松沼雅之

真弓明信

三井浩二

宮地克彦

森繁和

森慎二

森本稀哲

森山良二

山﨑浩司

山崎裕之

横田久則

米野智人

脇谷亮太

涌井秀章

和田一浩

渡辺智男

渡辺直人

渡辺久信

助っ人

スティーブ・オンティベロス

郭泰源

タイラー・リー・バンバークレオ

オレステス・デストラーデ

スコット・マクレーン

ホセ・フェルナンデス

張誌家

アレックス・カブレラ

クレイグ・ブラゼル

アレックス・グラマン

ブライアン・シコースキー

デニス・サファテ

ランディ・ウィリアムス

エステバン・ヘルマン

ブライアン・シュリッター

ブライアン・ウルフ

カイル・マーティン

デュアンテ・ヒース

郭俊麟



永久欠番

24・稲尾和久・・・前身の西鉄ライオンズのエース。


余談

現在のライオンズの球団歌は地平を駈ける獅子を見たである。『駆ける』ではない。これとは別に公式応援歌として『吠えろライオンズ』がある。


かつて親会社コクドが札幌ドーム建設に関わったことから、2003年以降同球場を準本拠地にする計画があり、実際に2002年の開幕戦を札幌ドームで行ったが、2002年3月に突如日本ハムファイターズが同球場への本拠地完全移転計画を発表。交渉の末計画は中止となった。

また実は横浜スタジアムもコクドが建設を主導しており、実際に当時の大洋ホエールズの株式を持っていたが、同年にライオンズを買収したため僅か1年でホエールズの経営から撤退している。


関連タグ

野球 プロ野球 パ・リーグ(パシフィック・リーグ)

西武 西武ライオンズ ライオンズ 地平を駈ける獅子を見た

レオ ライナ 堤義明

俺達 西武の中継ぎ

ジャングル大帝

大宮アルディージャ大宮公園野球場での試合の際、イメージカラーを此処と同じオレンジにする。


アニメ関係

埼玉県を舞台にしたアニメとのコラボイベントが多い。以下は一例。


ライオンズファンの人物

松崎しげる:公式球団歌『地平を駈ける獅子を見た』は彼が歌っている。

春日俊彰

渡辺美里:かつて西武球場で毎年ライブをしていた事から。

猪狩ともか仮面女子

惣田紗莉渚SKE48

土屋礼央RAG FAIR

吉永小百合清原和博の入団がきっかけで

小倉智昭

今野浩喜

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