フレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤース
(Frederick William Henry Myers, 1843年2月6日 - 1901年1月17日)は、古典文学者、詩人。
SPR創立の主要メンバーのひとり。精力的に調査を続けた結果死後存続を確信し、大部「人間個性とその死後存続」を発表し、後の心霊学者に多大な影響を与えた。彼の人柄は、モーゼスが「霊訓」の基になったノートをマイヤースに遺託したことで推察できる。
彼が創案した「超常 supernormal」「テレパシー telepathy」などの用語は現在も使われている。特に、霊による現象と、霊媒や同席者の潜在意識やテレパシーによる現象を区別しなければならないと考え、厳密な調査や実験を行った。 皮肉なことに、この考え方は後のSPRの行き過ぎた懐疑主義、特に心霊現象のほとんどは潜在意識とテレパシーによるものだとする姿勢につながってしまったと言われる。
封書テストの失敗
マイヤースは生前、自分で書いたメッセージを密封した封筒に入れてオリバー・ロッジに託し、「自分が死んだら中身を霊界通信で送る」と言っていた。しかし、死後間もなく様々な霊媒から大量の通信が届いたので1904年にロッジが開封して確認したところ、すべて間違っていたという。
マイヤースがはっきりした通信を送れるようになるには、他の死後存続を確信していた者たちと比べると、ずいぶん時間がかかった。「永遠の大道」などのまとまった通信は、死後30年以上たってからのものである。
年譜
1843年、英国カンバーランド州(現カンブリア州)のケスウィックにある牧師の家に生まれる。3人兄弟の長男。
1850年 マイヤース7歳の時、父が死去。
1856年 グロスターシャーに転居。このころから飛びぬけた古典文学の才能を見せる。この後チェルトナム校を卒業し、ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジで学ぶ。
1865年 ケンブリッジ大学の講師になり、69年まで勤める。
1871年 視学者として再びケンブリッジに招聘され、構内に住居を構えて終生住む。
1872年 発狂した従兄の妻で病身のアニー・マーシャルに同情し、よく励ましていたが、アニーが自殺してしまうという事件があった。アニーの霊は、のちに霊媒を通してマイヤースにメッセージを送り、死後存続を確信させる。
1874年 ウィリアム・ステイントン・モーゼスと親交を結ぶ。
1880年、エヴェリンと結婚。のちに子供3人をもうける。
1882年 同じケンブリッジ大学の倫理学教授ヘンリー・シジウィック、アーサー・バルフォア、ウィリアム・フレッチャー・バレット、エドマンド・ガーニーらと共にSPRを創立。モーゼスの助言を受ける。
1888年 ガーニー死去。
1889年 霊媒パイパー夫人が米国から渡英。マイヤース宅に滞在し交霊会を開く。
1892年 モーゼスが霊界との膨大な通信記録(「霊訓」の基になったノート)をマイヤースに遺託。
1900年 シジウィック死去。マイヤースSPR会長に就任。
1901年 ローマに療養に行き、1月に58歳で客死。墓は生家の近くに作られた。
マイヤースの著作
1900 Science and a Future Life
1903 Human Personality and its Survival of Bodily Death (死後に刊行)
マイヤースからの死後通信
1932 The Road to Immortarity
(邦題:永遠の大道/ジェラルディン・カミンズ著、近藤千雄訳、心の道場刊)
1935 Beyond Human Personality
(邦題:個人的存在の彼方/ジェラルディン・カミンズ著、E.B.ギブス編/近藤千雄訳、心の道場刊)