概要
病院船とは、医師や診療・入院施設を持ち、病院の機能を持たせた船のこと。
維持コストが高いため平時に使われることはまずなく、戦時や大規模災害時など大量に傷病者が出た時、現場に医療施設を持ちこむために使われる。
しかし、人道目的から、攻撃されることは国際法で禁止されている。ただしそのためには所定の標章(舷側の赤十字マークなど)を付け、軍事任務に使用せず、相手国に通知を行うなどが必要である。
軍艦ではあるが、船体として特別な機能を有するわけではなく、殆どの病院船は商船に病院機能を持たせる改装を行ったものである(病院船として運用することを前提として建造された商船もある)。
日本では太平洋戦争で徴用された氷川丸が有名。この氷川丸はじめとして帝国陸海軍が運用した病院船は、全艦が商船に改装を施した特設病院船である。これらは客室や食堂をそのまま病室や手術室として使用するなど、商船としての構造をそのまま利用した小規模な改装が行われており、終戦まで生き残った氷川丸、高砂丸、有馬山丸などは戦後に商船として復帰、貴重な大型船として日本商船隊の復活に貢献した。
病院船氷川丸、1万トン以上の日本商船として太平洋戦争を生き残った唯一の船となった。
他にも、日露戦争で使用された博愛丸は、払い下げられたのち蟹工船となり、内部でのリンチや過重労働が問題となって「博愛丸事件」と呼ばれた。プロレタリア小説『蟹工船』のモデルである。
近年ではアメリカ海軍のコンフォート級、中国海軍の和平箱舟のように、商船をベースとしつつも、軍が買い取って不可逆な大規模改装を施した病院船が主流となっている。
また、ペルーやブラジルなどでは河川航行に適した設計とし、平時には診療船として国内の巡回医療を行う病院船が運用されている。
日本における病院船
前述の氷川丸や高砂丸が有名であるが、これら海軍の特設病院船の他に、陸軍によって運航された陸軍病院船も存在した。前述の有馬山丸はこれにあたる。
陸海軍の病院船では運用用途が若干異なっており、海軍病院船が遠隔拠点を巡回して傷病兵の治療、収容を行う移動病院であったのに対し、陸軍病院船は傷病兵を後方の医療拠点へ後送する傷病兵輸送船とでもいうべき運用がなされた。これは陸海軍の戦闘事情の違いによるものである。海軍の病院船は、遠隔地の基地、根拠地に僻地医療を提供するものであるが、陸軍では戦闘によって医療設備の乏しい前線において大量の負傷者が一度期に発生するため、これを迅速に後送する輸送手段が必要であり、そのための病院船が用意された。
陸軍病院船の中には軍事任務に転用できない不便さを嫌って、病院船設備を有しながら、ジュネーブ条約で定められた標識を行わないものも数多くあった。当然ながら病院船としての保護は受けられないが、傷病兵と軍事物資を混載できる利便性を重視し、主に内航で運用された。
現在日本に専用の病院船は存在しないが、平成23年度第3次補正予算で病院船建造予算が計上されている。前述のペルーやブラジルの病院船のように、平時には診療船として僻地医療に従事し、国内外で災害が発生した場合には、直ちに現地に駆け付けて医療支援を行うという運用がなされる。
似て異なるものに巡回診療船があり、現在日本では済生丸3世が社会福祉法人済生会によって運用されている。