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安国寺恵瓊の編集履歴

2015-01-22 21:53:21 バージョン

安国寺恵瓊

あんこくじえけい

安国寺恵瓊(1539? 〜 1600)とは、戦国時代の僧侶・武将。一部では大名とも。

概要

戦国時代から安土桃山時代にかけての僧侶であり戦国武将

毛利家に外交僧として仕え、長宗我部家の外交僧でもある非有と共に「一対坊主」と称された。


ちなみに呼称の「安国寺」は自身が住持した安芸安国寺(不動院)から来ているが、他にも東福寺、南禅寺など複数の寺の住持になっている他、建仁寺、方丈寺、霊仙寺といった寺院の再興にも力を注いでいる。


生涯

天文8年(1539年)に安芸武田氏の一族・武田信重の子として生まれる。幼名は「竹若丸」。

しかし、天文10年(1541年)に毛利元就の攻撃で安芸武田が滅びると、幼い竹若丸は家臣の計らいで脱出し、安芸安国寺に入れられ出家する。


その後、京都東福寺の竺雲恵心の弟子となり、恵心が毛利家と親交があったことが縁となり、毛利家の外交僧となる。


毛利家と豊臣秀吉との交渉窓口として活躍し、後に秀吉の側近として取り立てられ、四国征伐後に伊予国和気郡に2万3,000石の知行を獲得し、九州征伐後はさらに6万石に加増される。


慶長5年(1600年)「関ヶ原の戦い」では西軍に属し、主君・毛利輝元を総大将として担ぎ出すことに成功するが、密かに徳川と内通していた吉川広家により毛利軍の参戦を阻まれ、結局戦闘に参加することなく西軍は敗北。敗戦後は広家に諭され逃亡するが最終的に捕縛され、石田三成らと同じく西軍の首脳格として六条河原で斬首・晒し首に処せられた。


創作作品における恵瓊

鬼武者』シリーズ

CV:石住昭彦(2)、玄田哲章(Soul)

味方キャラクターの一人。通称・エケイ。

でっぷりとした体格の巨漢で、仏門の身でありながら酒と女と食べ物に目が無い。

端的で喧嘩っ早い性格だが、快活で人懐っこいところもあり不思議と憎めない性格。対照的な性格のマゴイチとはソリが合わずよく喧嘩をしているが、『タクティクス』ではなんやかんやで共闘する機会の多い凸凹コンビとなっている。


専用武器は槍。「宝蔵院流槍術」の使い手を号する。

初期装備の月形十字槍は従来の十字槍とは異なる笹穂の槍身となっている(代わりに石突の部分に十字の装飾が施されている)。

他にも、飛び道具として札を使用したり「南無三」の掛け声とともに結界を張ったりと、僧侶らしい技も使用する。


采配のゆくえ

まさに俺得

主人公・石田三成の属する西軍の武将で、身長100cmという小柄な体格の僧侶。

仏に仕える身であるため争い事を好まないが、必要とあれば「一蓮托生」の精神で協力を惜しまない。


100万人の戦国無双


関連タグ

戦国時代 戦国武将 僧侶

中国勢 西軍


山路和弘(軍師官兵衛にて、安国寺恵瓊役を担当)

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