概要
「穢れ」によってあらゆるものが変化し、朽ちてゆく宿命にある地上にあって、全ての変化を拒み、「 穢れ無き永遠 」を作り出す能力である。
かつて輝夜は月からの追跡と地上の穢れから逃れるため自らの住まう永遠亭に「 永遠の魔法 」をかけ、全ての変化を拒絶してきた。
しかし『東方永夜抄』における出逢いを通して心境に大きな変化があり、この魔法を解除した。
今では「 歴史が動き始めた 」永遠亭において、今日では輝夜もまたその永遠から解き放たれた事で様々な変化の中にある(『東方儚月抄』)。
それは「 千年以上 」ともに永遠を過ごした八意永琳においてもみられるものであるようである。輝夜はこれまでの永琳とのつきあいやその歴史から、永遠を解いても永琳はそう変わらないのだろうと思っていたようであるが、永琳もまた少しずつ新しい変化の中にあるようである。
輝夜に関連した前後のストーリー、または東方Projectに登場する概念としての「永遠」や「須臾」、更にそれらを応用した輝夜のスペルカードなどについては「蓬莱山輝夜」をはじめ「東方永夜抄」や「蓬莱の薬」、「永夜返し」などの周辺記事も参照。
稗田阿求曰く
稗田阿求は、著作「幻想郷縁起」(『東方求聞史紀』)において輝夜の能力について永遠と須臾のそれぞれの方向から記述している。
阿求曰く「永遠」とは、「 歴史の無い世界 」にして「 未来永劫変化が訪れない世界 」である。その世界では渦中にある存在がどんなに動的な活動を行ったとしても変化は拒まれ、それは「 時間が止まっているのに等しい 」ものである。
そして輝夜が操るもの一つの要素である「須臾」とは、「 永遠とは反対にもの凄く短い時間 」であり、その短さのゆえに人間はその一瞬を感知することはできない。
一方輝夜は「 須臾の集合体 」だけを使って行動することができる。
「須臾の集合体」そのものは連続性をもって「 普通に時間が進んでいる 」が、人間には感知できない。また「須臾の集合体」による時間を利用すると、複数の「 異なった歴史 」をもつことができる。
阿求はこの二者を操作する事はいずれも「 時間を操る能力 」であるとし、「 普通の人間が持つ能力としては強力すぎる 」と評している。
「 もしかしたら彼女も変化の無いまま長い間暮らしてきたのかもしれない 」(阿求、『求聞史紀』)
永遠亭の開放
阿求は輝夜の操るところの「永遠」に関連して、輝夜の住まう永遠亭についても言及している。
「 何故か少しも古びた様子を見せない 」という永遠亭は、「 突如として人間の歴史に現れ、歴史を刻み始めた 」屋敷である。阿求は永遠亭が人々の前に現れたのは、輝夜が「 永遠の魔法 」を解除したからなのだろうと考察している。
しかし永遠亭がその存在を明らかにし、門戸を開いて来訪者を受け入れるようになったのは「 つい最近の事 」であることもあり、「 この家に関する情報で公開されている物は殆ど無い 」ともしている。
綿月豊姫による「須臾」
『儚月抄』においても、綿月豊姫が「須臾」について語っている。
豊姫の言葉によれば「須臾」とは「 生き物が認識できない僅かな時のこと 」であり、「須臾」の概念は「 フェムト 」とも換言されている。
時間とは「 本当は短い時が組み合わさってできている 」ものであり、豊姫はこれを複数のひもを撚り合わせた「 組紐 」に例えている。そして「組紐」を構成する各種のひもが極めて細いために個別のひもとして認識できなければ、その集合体である「組紐」自体が一つのひもとして「 限りなく連続した物質に見える 」だろうとした。
先述のように、時間は最小単位である「須臾」の連続である。
認識できない最小単位が密に連結しているため、時間は「 連続に見える 」のである。
そして豊姫が「須臾」について語る同エピソードでは、同様に「 認識でないほどの細さの繊維で組まれた組紐 」である「フェムトファイバー」についても語られ、これらを通して東方Projectにおける地上と月の関係性の一端が語られることとなるのである。
時間と歴史
東方Projectにおける時間と歴史について、輝夜以外にも特定のキャラクターの能力の文脈で語られる事がある。
例えば時間については十六夜咲夜の「時間を操る程度の能力」であり、歴史については上白沢慧音の「歴史を食べる(隠す)程度の能力と、歴史を創る程度の能力」である。
この他「須臾」について、時間が「最小単位同士の連続」であるとき、物事または二点以上の別個の存在の集合離散を通して「密度」を操る事の出来る伊吹萃香の能力である「密と疎を操る程度の能力」に通じるものもあるかもしれない。
連続性もまた一種の「密」である。