要点
戦国時代、武田信玄と松山勝善の合戦の折り、窮地に陥った主人・松山勝義を助けるべく、侍大将楠清久は援軍を率いて向かった。
しかし、松山勝義の立てこもる高楼山へ行く途中にある雛谷の橋は敵の手によって落とされていた。
そこで楠清久は一計を案じ、中国の兵法書(武鑑)にヒントを得た人橋をかけ谷を渡った。
このとき人橋となった者三十人は味方の兵を渡しきったあと、ことごとく力つきて谷に落ちたという。
その後、松山勝義はこの三十人の勇者達を称えそこに高楼三十塚を建立した。現代でも橋を建設するときは工事関係者がこの塚に参拝し、工事の安全を祈願する習慣がある。
中津川大観著・時源出版刊『戦場にかける橋』より
概要
作中では大威震八連制覇に向かう剣桃太郎ら一号生を通すべく、田沢慎一郎と松尾鯛雄がこれを考案し、肩車を延々続けることで人の橋を完成させたが、一番下で支え続けた田沢と松尾は力尽きて谷底に落ちていった…。
しかしながら当然生きていた。
ゲーム版『日本よ、これが男である!』ではなんと男塾の授業科目に指定されている。