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ジョン・ゲイシーの編集履歴

2015-06-22 11:51:11 バージョン

ジョン・ゲイシー

じょんげいしー

アメリカの重犯罪者、シリアルキラー(大量殺戮者)の代名詞的犯罪者。

概要

John Wayne Gacy


ジョンゲイシー

1942年3月17日 - 1994年5月10日


 アメリカの重犯罪者、シリアルキラー(大量殺戮者)という観念を作るきっかけになった代名詞的存在。


 ポーランドからの移民の血を継ぐ一家に生まれ、心臓に疾患のある病弱な子供時代に、虐待気質のある厳格な両親(特に父親)に虐待・奴隷労働の責め苦を受けていた経緯から、非常に歪んだ権勢欲のある人間に育つ。

その後、職を転々をする日々を経て、商才を身に付け、地域の会社を立ち上げ社長になるまでに上り詰める。身の過去の経歴から恵まれない子供に慈善活動を行った功績から、民主党へ入党して地元の名士となり、アメリカの国政・地域の政治家などの権力層などにも人脈を持ちアメリカ大統領の野心まで持つようになった。(実際立候補しており議員になっていたらそら恐ろしい暴君になっていただろうな・・・)


 しかし、根本的に性格の破滅的歪みが改善されたわけではなく、とうとう父親の死や妻との離婚を経て、彼の欲望は殺人への衝動を抑えきれなくなった。彼の殺人的好奇心はすべて細マッチョ美少年に向けられており、目にかかった少年を会社のバイトという目的で面接を行いに来させたあと、隙をついて縛り上げて水攻めなどの拷問レイプの挙句、細い首を縄で少しずつ締め上げて殺しまくった。そして殺した少年たち33名を自宅の庭や家の土台などに埋めるなど異常な行為を繰り返した。


 しかも凶荒中であってもゲイシーは通常の生活を続け、子供たちの慈善活動※1などをおこなった、(しかしその慈善行為も獲物の物色のためであった。)


1978年、ジョンゲイシーは青少年行方不明事件となっていた警察の捜査結果ついに逮捕された。家宅捜索に入った家では、遺体の腐敗が進んでいたことから異臭が凄まじく、検察は証拠物件を集める目的で家の土台ごと持って行ったため、多量の有毒ガスや有害な細菌が検出されるなど、文字通りの地獄絵図となった。


 ジョンは逮捕された後も、なんと自分自身が弁護士となり裁判を嫌というほど延長させたり、刑務所の中で一緒の哲学者や芸術家のように振る舞い(TVのインタビューなどにも進んで出る)などまったく自身の犯罪について思いをはせることはなく、それどころか『どれほど少年の殺害が面白いか』という自説を雄弁に垂れまくったりした(当然世論はそれに容赦することはなく、彼の死刑執行を求める声が殆どであったが)。そうした異常な胆力を持つ犯罪者だったため、精神学者や学者などでは研究の対象となり色々な論文が書かれた。


 しかし、一人の少年との出会いが彼の運命を決定づけた。その少年・ジェイソンは、成績優秀だった一方で、予てより凶悪犯罪を犯した罪人の心理・精神鑑定に強い関心を抱いており、またFBIの精神鑑定士を夢見ていたことから、当時世間を騒がせた数々の凶悪犯と文通するという趣味を持っていた。その過程で、ジョンの名前を知ったジェイソンは、ジョンとの文通を夢見て、早速手紙を送る。その後、紆余曲折を経て、どうにか互いに手紙を送るほどの中に発展していったが、飽くまでジョン本人にとっては、新たな犠牲者にふさわしいカモに過ぎなかった。

 その後、言葉巧みにジェイソンを自らが収監されている刑務所へ呼び出し、模範囚だった自分の評判に付け込んで本来であればルール違反の方式の面会を取り付けさせた。そして、監視がいなくなったところを、ジェイソンを防犯カメラの映らない空間に誘い込み、凌辱しようとしたが、偶然通りかかった監視が間一髪で駆け込んだことで事件は未遂に終わった。この一件を機にジョンの責任能力が認められる決定打を作り出すことになり、これまでの再審請求も全て取り消され、彼の冤罪説や精神病説はすっかり打ち砕かれた。


 1994年、この事件の影響もあって、ジョンの毒殺刑(死刑)が遂に執行された。通常ならば5分ですむ処置が30分以上かかったためジョンは壮絶に苦しみながら死んでいった。享年52歳。

この際でも自らの冤罪を主張し続け、死に際まで自分の犯した罪を認めることはしなかったという。


 なお、この出来事が人生最大の黒歴史となったジェイソンは、事件後は囚人との文通を一切やめた上に、FBIに入って犯罪心理学者になる夢をも捨て去り、大学を優秀な成績で卒業した後弁護士になったが、この出来事によるトラウマに苛まされ続け、31歳の時に自殺を図ってしまった。


 また、執行直前までは先述にもあるように、独房で絵を描くことを趣味としており、手紙を送った者に気に入った人物があれば、自作の絵を送付することがあったという。現在、彼が描いた絵画は物好きによって高い値段で取引されており、あのジョニー・デップも彼が生前に描いた絵を高値で買い取っている。


【追記】

  • ※1 この時の慈善活動でジョンはよくピエロに扮して面白がらせていたので、『殺人ピエロ』と称せられるようになった。
  • ※2 あまりにも存在・性格が絵に書いたような悪魔的犯罪者だったので、映画や小説やキャラクターなどのモデルになった。

関連タグ

ペニーワイズ(ジョンをモチーフとする架空の殺人ピエロ)

ピエロ 殺人鬼 死刑囚

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