概要
テネシー級はアメリカ海軍の戦艦で、また米戦艦最後の14インチ砲搭載艦である。
本級はニューメキシコ級に次いで整備された艦級であり、籠マスト構造の強化や艦橋の拡大などの外見上の変化に加え、ターボエレクトリック推進方式の本格的採用や対水雷防御の改良、主砲仰角の拡大などの様々な改正がなされたため、攻防性能は従来艦のそれを大きく上回ることとなった。
しかしながら、就役後しばらくの間、主砲の散布界不良が問題となっており、砲戦能力に難がある艦でもあったようだ。
ちなみに、本級の就役時点でアメリカの超弩級艦保有数は対日比2割増し、14インチ砲(35.6センチ砲)の門数は5割増し程度となっており、
日本が、この数的な劣勢を補うため、14インチ砲に対して質的に勝る16インチ砲搭載艦を就役させるきっかけとなった。
兵装
主砲
本級は主砲として14インチ50口径砲を装備する。
主砲の搭載形式は三連装砲塔を前後2基ずつの計4基、門数12である。
本砲は初速823mpsと同45口径砲の初速より高速であり、近中距離での威力に優れる反面、散布界が広がる欠点を有していた。
本級では主砲仰角が拡大されてより長距離の砲撃が可能となり、散布界不良はより深刻な問題となった為、大平洋戦争中の改装では主砲身を換装し、弾重量を増して装薬量を削減することで対処した。
弾重量は徹甲弾で640kg(新型砲に換装後は680kg)、最大射程は34kmである。
副武装
本級の就役時、51口径5インチ砲と50口径3インチ高角砲、水中魚雷発射管を装備した。
本級では波浪が吹き込み不良であった前後の舷側砲郭は廃止となり、全副砲は甲板上に設置された。
就役後まもなく海軍休日時代を迎えると、3インチ砲と露天の副砲が25口径5インチ高角砲に換装され、魚雷発射管を撤去した。機銃の装備は不明である。
真珠湾攻撃によって被害を受けると、本級は損傷復旧に併せて兵装の大規模な更新が行われた。
ただし損害が軽微だったテネシーは損傷修復後に小規模改装を行っただけで戦列に復帰したが、
後にカリフォルニアの復旧にあわせて本格的な改装が実施された。
副砲と高角砲を廃統合されて38口径5インチ両用砲を装備し、対空機銃として40㎜機銃や20㎜機銃を設置した。
観測装備
本級は艦橋上と主砲塔の各個に測距儀を装備し、前後マスト上には見張り所を設置した。
見張り所は就役時より密閉化されており、射撃方位盤もまた就役時より装備していた他、1940年にはカリフォルニアへ索敵レーダー・CXAMが搭載され、これは米海軍内でも初めてのレーダー搭載であった。
真珠湾攻撃後、テネシーは早期復旧のために改装を小規模なものにとどめ、Mk.3射撃管制レーダーとCXAM系列の索敵レーダーの搭載のみが行われたが、
1942年8月にはテネシーも再び改装となり、本級2隻は新型戦艦に準じた能力を獲得した。
籠マストは塔型の構造物にかわり、Mk.8射撃管制レーダーを備えたMk.34射撃方位盤を設置した。
また対空捜索レーダー・SKと対水上捜索レーダー・SGが装備され、5インチ砲用のMk.37射撃方位盤にはMk.4射撃管制レーダーを搭載。1945年には高度測定レーダー・SPを搭載した。
航空機
航空機の運用は就役後まもなく開始され、艦尾と三番主砲塔上にカタパルトを1基ずつ装備した。
艦載艇揚収クレーンは前寄りに設置されていたため、航空機揚収クレーンは艦尾の1基に加えて後部マストの両脇に1基ずつが設置された。
大改装後、航空機運用スペースは艦尾に統一されて艦尾以外のクレーンは撤去された。
またカリフォルニアには戦列復帰が遅れたためか、
旧式戦艦には珍しい新型の水上偵察機・シーホークが配備された。
艦体
船体・上部構造物
本級は長船首楼型船体を採用しており、艦首形状は凌波性向上のためクリッパー型とされた。
また副砲配置の改良を受けて、船体側面には副砲ケースメイトは設置されておらず、凹凸のない、滑らかな船体のラインが特徴的である。
マストには伝統的な籠マストを採用しているが、第一次大戦後に籠マスト構造の強度不足が指摘されたことを受けて、従来よりも支持構造が強化されており、
また頂上部の見張り所は就役当初より密閉化されて、射撃方位盤を搭載するように設計された。
真珠湾攻撃後のテネシー小規模改装時には高角砲の射界確保の為に後部マストを撤去するなどの改装が行われた他、
太平洋戦争中の大改装時には上部構造物を完全に更新し、火器管制塔を備えた、新戦艦類似の箱型艦橋を装備した。
機関
本級は推進方式としてターボエレクトリック方式(重油専燃ボイラーを使用)を採用した。
ターボエレクトリック方式は前級ニューメキシコにて試験的に導入されたものだが、低速時の燃費に優れ、機関配置の自由度が増すなどのメリットがあり、
特に太平洋を隔てた地域への作戦行動を考慮する上では低速巡航時での燃費の良さは非常に魅力的であった。
しかしながら動力の伝達効率が悪く、最大速力向上が困難などのデメリットも多々あり、
あくまで試験的に導入されただけのニューメキシコでは機関換装を行って通常の推進方式に変更することが出来たが、機関区が発電用途のみにシフトしていた本級では推進方式の変更は不可能だった。
海軍休日時代には発電効率や動力伝達効率の向上を狙った改修工事が実施された他、蒸留水供給用の蒸化装置や食料保存およびアイスクリーム製造用の冷凍機器といった電動機械類の能力増大などが実施された。
本級の機関出力は28900shpで、電動モーター4基4軸推進、最大速力は21knである。
防御
本級の装甲防御は前級とほぼ同等のものであるが、アメリカ海軍独自の対水雷防御として多層式液層防御が新たに採用されたことが特徴的である。
これは隔壁によって区切られた層に燃料を満たした液体の衝撃吸収層を設けることで被雷の衝撃を緩和し、損害を防ぐというもので、以降の新戦艦にも同様のシステムが採用された。
この防御方式が採用されたことで本級の対水雷防御は従来より充実したものとなったが、大落角砲弾対策は不足気味であり、
真珠湾攻撃後の改装にて水平防御の拡充が図られたほか、航空魚雷や潜水艦の雷撃の脅威が認識されたため、バルジを装着するなどして対水雷防御を一層強めることとなった。
就役時の各部の装甲厚は甲板89㎜、水線343㎜、バーベット330mm、砲塔前盾457mm、砲塔側面254mm、砲塔天蓋127mm、砲塔後面229mm、司令塔292㎜である。
艦歴
就役~海軍休日時代
本級は1916年度海軍計画にて予算を認められ、1920年6月3日にテネシー、1921年8月10日にカリフォルニアが竣工した。
本級は戦闘艦隊に所属し、特にカリフォルニアは就役直後から20年近く戦闘艦隊の旗艦を務めた。
就役後、本級は海外への親善訪問などを行い、まもなく海軍休日時代となるが、
新鋭有力戦艦として、日本の動向に備えるべく長期の改修で戦力から外れることが避けられたこともあり、本級の改装は比較的小規模なものにとどまった。
太平洋戦争
1941年12月、本級2隻は真珠湾にて日本軍の奇襲攻撃を受けた。
この攻撃でテネシーは損傷し、カリフォルニアは大破着底する被害を出した。
損傷が軽微だったテネシーは1942年の初めに戦列復帰し、日本海軍の侵攻に備えていたが、
6月にはミッドウェー海戦で米軍が勝利し、また新戦艦の戦力化で余裕が生じたため、8月には再び改装を受けることとなり、1年弱の大改装を経て1943年5月に再び復帰した。
1942年3月に浮揚されたカリフォルニアも同様の改装を実施されて1944年初めに戦列に加わった。
本級は第二次大戦を通じて太平洋方面にて作戦活動を行い、マリアナ諸島からフィリピン、沖縄へと日本占領下の島々を転戦。レイテ沖海戦ではスリガオ海峡海戦に姉妹ともども参加し、日本艦隊を撃破した。
1945年8月、フィリピンにて終戦を迎えると占領軍の支援任務に従事し、同年末には米本土に帰還した。
戦後
戦後、本級は現役引退が決まったものの予備役として保管されることとなり、1947年2月14日にテネシー、カリフォルニア両艦が退役した。
本級は1959年まで保管された後に廃棄処分となり、船体はスクラップとして売却された。
テネシーは1959年3月1日、カリフォルニアは1959年7月10日にアメリカ海軍から除籍された。