聖ニコラウス/ミラのニコラオスとは、サンタクロースの原形となった3世紀後半から4世紀前半に活躍したキリスト教の主教・神学者である。
罪無き人の守護聖人、また、後述の複数の伝承から子供の守護聖人ともされる。
概要
ローマ帝国時代の小アジア(現在のトルコ領)で生まれ、キリスト教会の主教であった叔父に薦められ聖職者となり、大勢の貧困や冤罪に苦しむ者を助けたという。サンタクロース伝承の原型になった伝説は、この時期の話である。
ミラの大主教に就任するが、当時はキリスト教徒への迫害がまだ激しく、投獄もされるが、コンスタンティヌス帝が迫害をやめて解放される。
その後も、兵士の暴行を3人の将軍にかけあって鎮めてから、ミラの市長により処刑されそうになった3人の市民、功績を妬まれ謀反を企てていると言いふらされた3人の将軍を救うなど、多くの功績を伝えられている。神学者として多くの著作を残してはいないが、生き方自体が信徒の模範とされるようになっていた。
没後、遺骸は不朽体としてミラの教会に祀られていたが、トルコ人(セルジューク朝)に町が占領された際の混乱に紛れて、バーリ(イタリア南東部の港町)の船乗りが不朽体を持ち去り、故郷の教会へ納めてしまった。
サンタクロース伝承の原型
ニコラオスが司祭であった時に、貧困に苦しみ、娘(三姉妹)を売春させる瀬戸際にあった商人の家に金貨を投げ入れたという伝承があり、これがのちにサンタクロース伝承の原形となった。「暖炉に靴下を飾って、そこにプレゼントを入れてもらう」という風習も、彼が煙突から金貨を投げ入れた際に、この姉妹が暖炉に干していた靴下に偶然入ったことから来ている。
また、7人の子供を殺して7年間塩漬けにしていた悪い肉屋を訪れ、子供達を生き返らせたという伝承もある。
意外な逸話
キリスト教の教義のうえで生じた意見の相違や、その他の教会における問題に結論を付けるため、それまでは地域ごとに教会会議を開いていた。しかし当時は「キリストと聖霊は神の被造物である」として両者を同質のものと見ないアリウス派が広まり、「三者を同質のものの別面である」とする三位一体論を信奉する派との対立が大きくなり、教会全体にとって深刻な問題と化していた。
それを解決するため、ローマ帝国の安定と統一のために教会の一体性を保ちたいコンスタンティヌス帝の後押しもあり、ニカイア(現イズニク)で初めての公会議が開かれた。
しかしこの場で、アリウスに対する議論の際に、ニコラオスは言葉ではなく拳でも語ってしまい、一時的に破門されてしまっている。
……兵士の暴行を3人の将軍にかけあって鎮めたという話も、もしかして――いや何でもありません。