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蘆名盛隆の編集履歴

2016-01-01 09:11:05 バージョン

蘆名盛隆

あしなもりたか

蘆名盛隆とは、戦国時代の陸奥の戦国大名。蘆名氏第18代当主(1561年〜1584年)。

生涯

須賀川二階堂氏の第18代当主二階堂盛義の長男として生まれる。父が蘆名家に降伏すると、当時の蘆名家当主盛氏の人質になる。しかし、盛氏の嫡男で後を継いだ盛興が酒の飲み過ぎで死亡。すると、盛興の未亡人と結婚、盛氏と養子縁組と次々に蘆名家での立場を固め、1580年の盛氏の死で正式に蘆名氏の家督を継承‥‥と言った具合に、人質から、まさかのサクセスストーリーをたどる。

その後は、越後で起きた新発田重家の反乱を伊達輝宗と共に支援して上杉景勝を牽制したり、南奥州の諸大名と結んで北進してきた佐竹義重に対抗したりしている。また、既に武田氏を圧迫して強大化していた織田信長と誼を通じている。

また、蘆名氏の力を使って実家の二階堂氏を支援していたが、そのせいで彼の出自や行動に反発する家臣たちが度々反乱を起こした。一時は本拠地・黒川城を占拠されたこともあったが、これらの反乱は全て鎮圧に成功している。

しかし、反乱鎮圧直後の1584年10月6日、黒川城内で鷹にえさをやっていたところを家臣・大庭三左衛門に背後から斬られて死亡した。享年23歳。


その後の蘆名氏はまだ生後一ヶ月だった長男亀王丸が継ぎ、同盟国伊達氏の助けを得て統治していたが、伊達氏の当主が温厚な輝宗から色々とアレ政宗に代わると事態は急変。政宗が同盟を無視して戦を仕掛けてきた上に、当主亀王丸が3歳で病死。跡継ぎがいない蘆名家中は当然混乱し、どこから養子を迎えるかで迷走。結局佐竹義重の実子である佐竹義広を養子として当主としたが、その後の衰退は止まらなかった。


人物

決断力や行動力に富んで武勇に秀でていたとされる。ただし知性や徳はあまりなく、他家出身の養子ということもあって家中での人望はあまりなかったようである。とは言え、優れた人物であったことには変わりなく、盛隆の早世が後の蘆名氏の衰退を早めたとの評もある。


ちなみに某ゲームのせいで小島よしお似と専ら噂だが、息子の彼はそんなことは全くないどころか、かなりのイケメンだったらしい。なんと当時敵対していた佐竹義重一目惚れされてラブレターを貰った、というエピソードがある(おまけにこの手紙のやり取りがきっかけで両家は和睦)。

また、盛隆を殺した大庭三左衛門は元々彼の寵臣であったが、その寵が他に移り、ひどく冷遇されるようになったため犯行に及んだと言われている。



創作物における蘆名盛隆

信長の野望

武将風雲録シナリオ2から初登場。


戦国無双

武器:刀剣(2、3) 槍(4) 声:山田真一(2Empires) 宮坂俊蔵(3Empires) 岡本寛志(4Empires)


「俺っていい男だろ? 俺と一戦、交えてみないか?」(Empiresでの特殊台詞)


2Empiresより登場しており、3Empiresでは上記の逸話からまさかのいい男という扱いで登場した。喋り方も特徴的でイベントもその佐竹義重とのイベントがある。


4Empriesでは義父・盛氏に似た鎧姿の固有武将として登場した。


関連リンク

伊達政宗 蘆名盛氏

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