投稿者に対する指摘用タグの一種。
評価系タグの一種「極上の乳」を投稿者が自分で付けたことに反発した閲覧者が付ける。
当事者の投稿者と閲覧者の争いに加え、指摘用タグ自体への批判(コメントでやるべき)や、評価系タグの是非論も絡まって、このタグを巡っては激しい対立がある。
なお、評価系タグを自分で付けることを「自分タグ」と呼ぶ者も居る。そちらの項目も参照。
評価タグをめぐる対立
評価系タグは、(海外ユーザーが一般の分類用タグと思い使ってしまうようなケースを除けば)一般的には自分で付けるものではない。
しかし「1000Users」系のようなものを除けば、評価基準は各自の主観であるため、自信と批判を受ける覚悟があるなら別に自ら付けて自画自賛しても構わないという考えもある。
反面、お気に入りの評価タグに強い思い入れを持ち、「選ばれし絵だけの理想郷」を守るべく、熱心にタグに相応しいと思った絵を探してはタグを付け、相応しくないと思う絵からタグを外す活動を行っている者も居り、「極上の乳」タグにもまた、そうした極めて真剣で熱心な変態…もとい、求道者が居ると推定される。
そのような活動で評価タグの機能が保たれている面は確かにある。だがそれは、基準の食い違う者の間での争いの原因にもなる。
ここで閲覧者が付けたタグを巡る争いであればタグの付け外し合戦で済むことが多い。しかし投稿者が付けたりタグロックしたタグは第三者は決して消すことができない。結果、その投稿者には想像を絶する憎しみが向けられることがある。
絵の質・自画自賛・タグロック問題
タグ内の絵の質の問題と自画自賛問題、タグがロックされる問題はごっちゃにして語られることも多いが、本来は別個の問題である。
自画自賛に関しては、確かに一般的には余り格好のいいものではない。(誰も文句を言えないほど上手ければ逆にダークヒーロー的なかっこよさはあるかもしれないが)
ただ、評価タグを付けたり管理するのも「審美眼の自画自賛」の面があり、同類と言えば否めない部分もある。
そもそも自分で付けたタグがロックされない/出来ない仕様であれば、自画自賛であってもここまで激しい批難が出たとは考えにくい。
なお、評価タグは付いても画力や魅力が伴わなければサムネイルの表示数が増えるだけで、評価やブックマークはもちろん閲覧数もさほど増えるものではない。サムネマジックを起こすにもそれなりの構図やポーズ、配色のセンスは必要である。何の信念もなく、単に評価や閲覧目当てであれば自ら付けるのは止めておいた方が無難と言える。
指摘手段としての問題
単なる「指摘」であれば、付けられた事が投稿者に判りにくいタグよりも、付いたことをトップの赤文字で知らせてくれるコメント、メッセージのほうが判りやすく、適切である。
また、タグの場合はその性質上指摘と言うより検索結果による吊るし上げ、脅迫の意図も含んでしまう。
いきなりタグを付けたのか、コメントでの指摘をスルーされた結果付けたのかで多少意味合いは異なるが、原則として使うべきではない。
それを通り越して、Pixpediaによる名指しの吊るし上げまで行う者も居る。
どれほどの憎しみを抱えているかは判らないが、ここまでやると通報されれば退会処分の可能性は十分にある。
解決は可能か?
現状、解決の兆しは見えない。
ただ評価タグは1000Users系のような基準争いの起きにくいものに変わっていく傾向もあり、その結果状況は改善されるかもしれない。