概要
法政大学時代は強肩強打の大型捕手として鳴らし、背が高くてひょろっとしていて、尚且つそこそこイケメンだった為、相当女性人気が高かった。
しかしながら、阪神タイガースに入団すると元来の練習嫌いの所為か、生死を彷徨うデッドボールを食らった所為か、はたまた大阪でカロリーの高いもんばっかり食いすぎた所為か、徐々に太り始め、仕舞いにはガラの悪い阪神ファンに「タブタ」、「デブチ」等と野次られ、ネタ要員にされる。
しかしながら、王貞治の連続ホームラン王を阻止したり、歴代阪神正捕手の中でもトップクラスの強肩の持ち主だったりと一応、一流選手ではあった。
博多から所沢に移転した西武ライオンズに移籍し、1982年・1983年の日本一に貢献。1984年に引退。1990年~1992年には福岡ダイエーホークスの監督を務め、2005年・2003年は古巣阪神のコーチ、2011年・2012年は東北楽天ゴールデンイーグルスのコーチを務めた。
夫人は元女優のジャネット八田、長男の田淵裕章(~ゆうしょう)はフジテレビアナウンサーだがこいつもでかい。