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長谷川町子の編集履歴

2016-05-16 02:10:41 バージョン

長谷川町子

はせがわまちこ

日本の漫画家。女性としては最初のプロの漫画家である。1920年生~1992年没。代表作『サザエさん』は国民的作品として抜群の知名度を誇る。

長谷川町子は日本漫画家である。女性としては日本で最初のプロの漫画家。

代表作に『サザエさん』『いじわるばあさん』などが挙げられる。


概要

しょうちくばい

1920年佐賀県生まれ。高校時代に『のらくろ』で知られる田河水泡に師事し漫画を描き始める。1935年に「少女倶楽部」に掲載された『狸の面』でデビューし、「天才少女」ともてはやされた。画像の『仲よし手帖』は初期の代表作で、「少女倶楽部」に1940年から連載され、戦後も「少女」に連載された。


戦後になってから福岡県の地元紙「夕刊フクニチ」で『サザエさん』の連載を始める。のちに朝日新聞に掲載紙を変えて1974年まで連載された。長谷川の代表作である。『サザエさん』は姉妹社より書籍版が68巻まで発行された(のちに朝日新聞社の刊行で45巻に組み直されて再発売された)。


『サザエさん』の連載開始と同時期に「週刊朝日」に『似たもの一家』を連載。この作品の主要人物である伊佐坂家の人々は、のちに『サザエさん』の連載にもレギュラー出演することとなった。


サザエさんうちあけ話でサザエさんの連載末期と思われる頃に胃の強烈な痛みに襲われ、入院のち手術を行っていた事を明かしていた。しかし、うちあけ話では胃潰瘍と本人は記述していたのだが、後年実妹のエッセイ(サザエさんの東京物語)で実は胃癌であった事が明かされた。この事を匂わせるのがうちあけ話にもあり、入院中に新設されたがんセンターに移動した事は描かれている。




生涯独身のまま1992年に逝去。死後1か月間は逝去が公表されなかった。死後に国民栄誉賞を授賞される。


後年になって明らかになった私生活の話では、長谷川三姉妹は三女「洋子」が長女の「鞠子」次女の「町子」との間で「ほんのささいな事」で起きた絶縁状態にあるという。

その絶縁関係は長女鞠子が町子の逝去の際、洋子に対しては関係者に箝口令を敷いた程。それを見かねた一部関係者がこっそり教えてくれたらしく、洋子は長谷川家の遺産相続の権利を一切放棄したという。

姉二人がこの世を去って以降の長谷川家と洋子の現在の間柄はどうなっているのかは不明。


代表作

以下の作品はすべて姉妹社(長谷川家の私設出版社)より刊行されていた。

ただし姉妹社は長谷川の死後に解散され、版権は発展改組の上で姉妹社の後継団体となった長谷川町子美術館に移行しており、現在の出版活動は主に長谷川の生前より付き合いのあった朝日新聞出版(朝日新聞の出版事業を分社化の形で継承した会社)などより成されている。


  • サザエさん:説明不要の4コマ漫画。アニメ化・ドラマ化もされている。
  • 別冊サザエさん:4コマの『サザエさん』とは別エピソードのショートコミック。
  • よりぬきサザエさん:『サザエさん』より名作を選び出し再収録したもの。
  • いじわるばあさん
  • エプロンおばさん:4ページ程度の短編漫画が基本だが4コマも平行して発表されていた。3度ドラマ化されている。
  • サザエさんうちあけ話:長谷川の自伝を漫画形式でつづった作品。
  • 似たもの一家:上記のとおり、伊佐坂家が初登場した漫画。
  • 仲よし手帖:戦前時代の代表作。
  • 新やじきた道中記
  • サザエさん旅あるき:最後の作品。

アニメ化作品

  • サザエさん
  • いじわるばあさん

版権に関して

日本の漫画家として作品の版権が厳しい事でも知られている。厳しい姿勢があるのは過去にサザエさんの単行本の海賊版の存在、決定的となったのはとあるバス会社が無断でサザエさんを使ったバスを運行した事で裁判にまで発展した事である。

その為、長谷川作品のキャラクターを商用利用できるのは長谷川の生前に契約した企業のみであるとされている。ただし、教科書での資料としての採用や公的機関のポスターでの採用といったものは例外にあるようだ。


関連

上田トシコ - ほぼ同時期に活躍した女流漫画家。

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