「才能」とは、
持っていない人にとってはうらやましい能力ではあるが、そのほとんどが特定の分野にしか使えないものであるため、持っている本人は大して嬉しくもない物でもある。
持っていると便利そうだけど、別に持っていても持っていなくても何とかなるものである。
とは言え、才能は磨き続けなければ埋もれていくだけなので、自他ともに認める才能を持っている人は誇ってよい。
それはたゆまぬ努力の証でもあるのだ。
また、自分や家族・友人が当たり前だと思っていたことが案外、その外の人間からすると才能であったということも起こりうる。
例えば、医者の家に生まれて、高いレベルの教育を受けてはきたが、一流大学に入れずその下のランクの大学に入った男Aがいたとする。
家族や周囲の人間の冷たい視線から、彼は自分に才能があるとは思わないかもしれない。
しかし、そもそも勉強ができず、勉強以外のところで自分を磨くしかなかった人間Bにとっては、Aは勉強の才能がある男ということになり、尊敬に値する存在かもしれない。
何をもって才能と呼ぶかは、基準をどこに置くかによっても変わってくるものなのだ。
名言
将棋棋士・羽生善治氏がテレビ番組『仕事の流儀』で言った言葉。