若乃花
わかのはな
初代若乃花幹士(第45代横綱)
初代若乃花幹士(わかのはな かんじ)、は1928年3月16日生まれ。青森県弘前市出身。
本名は花田勝治(はなだ かつじ)。
後の大関貴ノ花利彰は実弟、横綱若乃花勝(後述)・貴乃花光司は甥に当たる。
後に「土俵の鬼」と呼ばれ、栃錦とともに「栃若時代」を築き上げた。幕内最高優勝は10回。
また自身が横綱に昇進する直前に長男がちゃんこ鍋をひっくり返し、全身火傷で亡くなるという不運にも見舞われている。
引退後は年寄・二子山を襲名し、花籠部屋から独立して二子山部屋を立ち上げ、後の横綱隆の里や2代目若乃花(後述)、実弟の大関貴ノ花、大関若嶋津などを育て上げた。
1988年に日本相撲協会の理事長に就任。1993年に弟の当時・藤島親方と年寄株を交換し、藤島部屋と二子山部屋を合併。自身は停年を迎えた。
2代目若乃花幹士(第56代横綱)
本名は下山勝則(しもやま かつのり)。
大関までは若三杉(わかみすぎ)と名乗っていた。幕内最高優勝は4回。
引退後は年寄・間垣を襲名し、間垣部屋を立ち上げたが、三役以上の力士が出ることはなかった。
若乃花勝(第66代横綱)
1971年1月20日生まれ。本名は花田勝(はなだ まさる)。
1988年に父が親方を務める藤島部屋に弟の貴乃花(当時は「貴花田」)とともに弟子入りした。
当時の四股名は「若花田」。
幕内最高優勝は5回。但し全て関脇・大関時代のものであり、横綱昇進後は優勝をしていない。
昇進後は4場所続けて好成績を残しているが、皆勤できなかった場所の方が多く、皆勤負け越しも経験している。そのせいか、横綱にさえならなければ名大関として名を残したと惜しむ声が多い。
さらには実弟・貴乃花との確執や自身の離婚問題等、ワイドショーや女性週刊誌等を賑わせる騒動に巻き込まれることも多かった。
引退後は年寄・藤島を襲名するが、引退相撲直後に日本相撲協会を退職。現在は「花田虎上」(読みは本名と同じ)と名乗り、タレント業やスポーツキャスター、実業家として活動している。
大ノ海久光(初代の師匠)
若いころ幕下時代まで若ノ花の名を名乗っており、初代は「オヤジが初代」と常々公言していた。