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西太后の編集履歴

2017-07-18 04:58:20 バージョン

西太后

せいたいごう

清の咸豊帝の妃で、同治帝の母。光緒帝の後見人などを得て、清末期の中央政治を牛耳った女傑。太后は太上皇帝と同じ位である。

概要

通称:西太后(せいたいこう〔ごう〕)〈孝欽慈禧端佑康頤昭豫荘誠寿恭欽献崇煕配天興聖顕皇后〉

正式名:慈禧太后(じきたいこう・ツーシーコウゴウ)

世没:1835年11月29日 - 1908年11月15日


満州・旗人(鑲藍旗人)の葉赫那拉氏の出身。

清朝咸豊帝に嫁ぎ、同治帝を生む。清末期の前人未到の女最高権力者

中国の人に西太后と聞いても解からないことがあるらしいので、慈禧太后と言った方が良いようだ。

同治帝が即位したため、太上皇帝と同じ位である太后を名乗った。

その後にあたる光緒帝の後見人などを得て、清末期の中央政治を牛耳った。

1908年溥儀宣統帝)に帝位を禅譲し臨終した。享年74歳


冠位は太上皇太后〈太上皇帝の上の官位〉

称号は聖母皇太后・老仏爺皇后・〈老仏爺・老ブッタ釈迦の意味〉・敬称 陛下 Her Imperial Majesty


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則天武后 中華帝国史上唯一の正式な女帝前漢呂太后と共に中華3大悪女と呼ばれる。

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