初代「日進」
スループ。オランダ製。当初の艦名は「日進丸」。
佐賀藩の注文により1868年に進水、翌1869年に竣工。
佐賀藩による受領から3ヶ月後に日本海軍に編入。
以降、朝鮮出兵、西南戦争などに参加した他、大韓帝国における動乱(壬午事変、甲申政変)の際には朝鮮半島にて警備任務に当てられた。
2代目「日進」
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春日型(ジュゼッペ・ガリバルディ級)装甲巡洋艦。イタリア製。
初めアルゼンチン海軍がイタリアから購入、モノレとして就役したものを日本海軍が購入したもの。
第一次世界大戦では北米沿岸やインド洋、地中海で活動を行った。
同型艦としてリバタビア(春日)やフランチェスコ・フェルッキオなどがある。
1906年5月10日に愛知県愛知郡の香久山、白山、岩崎の3村が合併した際には、日進の日露戦争での活躍と功績にあやかって新村名を日進村(現・日進市)としている。
3代目「日進」
水上機母艦。呉海軍工廠製。
千歳型・瑞穂同様に甲標的母艦として運用する事を前提に設計された。当初は機雷敷設艦として計画されていたため、14cm連装砲3基を搭載するなど他の水上機母艦よりも若干重武装となっていた。
主機関は瑞穂とともにディーゼルエンジンを本格採用し、故障が頻発していた瑞穂の旗艦とは異なり、日本の大型船舶としては初めての成功例となった。
第二次世界大戦では専ら輸送任務に従事し、高速輸送艦としてミッドウェー作戦やガダルカナルの戦いに参加した。
1943年7月22日、ブーゲンビル島への輸送任務中に米軍機の集中攻撃に遭い、撃沈された。