概要
【1901年6月18日 - 1918年7月17日】
最後のロシア皇帝、ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ(ニコライ2世)とアレクサンドラ・フョードロヴナ(アレクサンドラ皇后)の第4皇女。
かつてを知る多くの証人達は「お転婆娘だった」と語っている。家族からは明るく、いたずら好きであった彼女を「反抗児」とか「道化者」と呼んでいたとされる。姉達は美しく成長するようにつれ、マスメディアや貴族の間で騒がれるようになっていったが、アナスタシアはたまにそのやんちゃぶりが笑いを誘うか、顰蹙を買う他はほとんど注目されなかった。
死後、在外ロシア正教会から新致命者に列聖された。
その後、ロシア正教会もアナスタシアを列聖した。
アナスタシア生存説
1918年、監禁されていたエカテリンブルクのイパチェフ館において、ウラジーミル・レーニンから「一家全員処刑の命令」を受けた、秘密警察組織チェーカーの次席ヤコフ・ユロフスキー率いる処刑隊に、両親・姉弟と4人の従者と共に銃殺された。
1991年に大きな集団墓地が政府の手によって発掘され、その後のDNA鑑定により皇帝と皇后および3人の娘の身元が確認された。この際に、皇女1人(※)と皇子の遺体が確認されなかったため、「処刑を逃れて何処かに亡命したのではないか」という噂が国内だけに留まらず、国際的に広まった。これにより、皇帝の遺産目当てで何人もの女性が、自分がアナスタシアであると名乗り出た。
2007年8月にエカテリンブルク近郊で、第3皇女マリア・ニコラエヴナと第5子アレクセイ・ニコラエヴィチのものと思われる遺骨が発見された。この2人は遺体をバラバラに切断され、焼却されたという残酷な事実も明らかになった。
つまりアナスタシアは1991年の時点で、集団墓地の方で納骨されていたこととなる。
しかし、残酷な皇帝一家の結末に生まれた噂は、2007年に鑑定結果がわかるまで「皇女が生きている」という仮説を使った作品がいくつも生まれた。
※この時、弟のアレクセイと年が近い、マリアかアナスタシアが遺骸のない皇女だとされていた。当時は分析を途中で打ち切ったためと、技術がそこまで発展していなかったために、個人の特定までいかなかったと推測される。また、アナスタシアだとされていたのは、弟と「小さなペア」と呼ばれるほど仲が良かったことに起因される噂が広まったためだと考えられる。
関連タグ
「アナスタシア生存説」関連作品・モデルにしたキャラクター
- 追想(1956年)
- アナスタシア/光・ゆらめいて
- アナスタシア(20世紀フォックス)
- 死後の恋
- 世紀末の魔術師:厳密にいうと「皇女生存説」という点で関連している。この作品で生存していたとされるのは姉のマリア皇女。
- アナスタシアの親衛隊長
- アナスタシア(ドリフターズ)
- アナスタシア(シャドウハーツ)
- アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ(Fate)