概要
【1901年6月18日 - 1918年7月17日】
最後のロシア皇帝、ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ(ニコライ2世)とアレクサンドラ・フョードロヴナ(アレクサンドラ皇后)の第4皇女。
第二次ロシア革命にて両親・姉弟共々惨殺されたが、遺骨が見つからなかったため生存説が囁かれ、20世紀の大きなミステリーとなっていた。
死後、ロシア正教会から家族共々新致命者に列聖された。
人物像
4姉妹の中では特に一番年の近い三姉・マリアと仲が良く、多くの時間を過ごし、1つの寝室を共用していたことから、二人合わせて「小さなペア」と呼ばれていた。なお、長姉・オリガと次姉・タチアナも2人で1つの寝室を共用しており、こちらは「大きなペア」と呼ばれていた。4姉妹は自分達の名前の頭文字を出生順に並べた「OTMA」という合同のサインを結束の象徴として使用していた。
また、アナスタシアは弟・アレクセイとも仲が良く、第六感を使うかのごとく話さずとも弟の気持ちを理解出来るほどだった。アレクセイのビュッフェテーブルから食べ物を奪ったりするなど、いつもふざけた態度で接して弟を楽しませていた。
家族からは、アナスタシアのロシア語愛称である「ナースチャ」や「ナスチェンカ」と呼ばれることが多かった。他にも、小さないたずらっ子を意味する「シュヴィブジック」と呼ばれることもあった。
存命中は四女という理由で注目度は低かったが、お転婆娘として有名だった。
明るく、いたずら好きでな彼女を、家族は「反抗児」とか「道化者」と呼んでいたとされる。姉達は美しく成長するようにつれ、マスメディアや貴族の間で騒がれるようになっていったが、アナスタシアはたまにそのやんちゃぶりが笑いを誘うか、顰蹙を買う他はほとんど注目されなかった。
これは帝位継承権が直系男子優先である一方、4人連続娘が産まれて世間からの関心が遠ざかったのが原因である。
当時すでに鏡を用いて自撮りをしていたり、変顔で写るなど写真好きだったようである。
ある日、ポーランドにある皇室私有地で家族で雪合戦をして遊んでいる時、アナスタシアは雪玉の中に石を入れて投げるという悪戯を仕掛けたが、それが運悪くタチアナの顔面に直撃して失神させてしまった。普段のアナスタシアは頬が真っ赤に染まるほど強く叩かれても泣かない子供だったが、この時ばかりは驚きのあまり声を上げて泣き出してしまい、何日もそのショックを引きずった。
処刑
1918年、監禁されていたエカテリンブルクのイパチェフ館において、ウラジーミル・レーニンから「一家全員処刑の命令」を受けた、秘密警察組織チェーカーの次席ヤコフ・ユロフスキー率いる処刑隊に、両親・姉弟と4人の従者と共に銃殺された。
長らく遺体は不明とされていたが、1979年に地質学者が発見に成功している。しかし、ソ連体制下では黙殺されることは明白だったためにその後もその事実を隠し続け、1991年に大きな集団墓地が政府の手によって発掘され、その後のDNA鑑定により皇帝と皇后および3人の娘の身元が改めて確認された。この際に、皇女1人(※)と皇子の遺体が確認されなかった。
2007年8月にエカテリンブルク近郊で、第三皇女・マリアと皇太子・アレクセイのものと思われる遺骨が発見された。この2人は遺体をバラバラに切断され、焼却されたという残酷な事実も明らかになった。
つまり、アナスタシアは1991年の時点で集団墓地の方で納骨されていたこととなる。
しかし、残酷な皇帝一家の結末に生まれた噂は、2007年に家族全員の鑑定結果が終了するまで「皇女が生きている」という仮説を使った作品がいくつも生まれた。
※この時、弟のアレクセイと年が近い、マリアかアナスタシアが遺骸のない皇女だとされていた。当時は分析を途中で打ち切ったためと、技術がそこまで発展していなかったために、個人の特定までいかなかったと推測される。また、アナスタシアだとされていたのは、すぐ上の姉・マリアと「小さなペア」と呼ばれるほど仲が良かったことに起因される噂が広まったためだと考えられる。
王族偽装者アナ・アンダーソン
処刑からさほど時間がたたないうちに、「処刑を逃れて何処かに亡命したのではないか」という噂が国内だけに留まらず、国際的に広まった。これにより、皇帝の遺産目当てで何人もの女性が、自分がアナスタシアであると名乗り出た。
特にもっとも有名なのがアナ・アンダーソンと名乗る女性で、宮廷関係者でなければ知りえないことを知っていたり、肉体の形態異常が酷似していたために本人と遊んだことのある侍医の息子すらも生涯を通して熱心な支持者となるほどだった。
苦手であるはずのドイツ語(しかもポーランド訛り)をロシア語よりよく話せるなどの怪しい面も生前から指摘されていたものの、結局死亡するまでソーシャライトとしての暮らしを享受することに成功した。
しかし、結局は後年のDNA鑑定とその他調査により、彼女は兵器工場で働いて事故により心身を患って自殺未遂を起こし、精神病院に入院した経験があるポーランド人女性フランツィスカ・シャンツコフスカであることが判明している。
彼女の詐称については精神病院でのいきさつから、意図的な詐称ではなく精神的なショックによる偽の記憶を偽造していた、という理解が一般的になっている。
関連タグ
血友病: 1991年の遺骨鑑定の際、保因者であることが判明した。
「アナスタシア生存説」関連作品・モデルにしたキャラクター
- 追想(1956年)
- アナスタシア/光・ゆらめいて
- アナスタシア(20世紀フォックス)
- 死後の恋
- 世紀末の魔術師:厳密にいうと「皇女生存説」という点で関連している。この作品で生存していたとされるのは姉のマリア皇女。
- アナスタシアの親衛隊長
- アナスタシア(ドリフターズ)
- アナスタシア(シャドウハーツ)
- アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ(Fate)
- ロシアより愛をこめて(ルパン三世)