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鴨東線の編集履歴2018/07/19 21:28:53 版
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歴史

1989年10月5日開業。当路線の計画は1924年からあった。免許は京福電気鉄道の前身である京都電燈が取得していたが、京都市電との平面交差や景観の問題上建設することができなかった。その後、建設工事に着手しようとするも1934年室戸台風、翌年の1935年鴨川大洪水で資材が激流に流されて失い、また、戦時体制や戦後の混乱でできなかった。

戦後、1950年に鴨東線建設準備委員会が立ち上げられて免許出願に向けて準備を進めたが、「古都の美観を損なう」などの反対運動があり問題となっていた。また、あらゆる意見がぶつけられた結果、京都市会は路線の地下化や報奨金支払いなど費用負担を要求するという厳しい条件が立てられたため、しばらくは「幻の路線」となっていた。

鴨川大洪水を受けて計画された鴨川大改修とともに、京阪本線東福寺駅三条駅間を地下化する計画が策定され、1972年に鴨川電機鉄道㈱が設立されてようやく着工した。1987年には先ほど述べた東福寺駅三条駅間の地下化工事が竣工し、七条駅五条駅四条駅三条駅の4駅が地下駅となった。そして1989年(平成元年)10月5日に鴨川電気鉄道㈱と合併した上でやっとの思いで鴨東線(三条駅出町柳駅間)が開通した。当初は叡山電鉄との直通する構想もあったが、お互いの車両規格や輸送需要の差が大きかったことから実現しなかった。また、京阪特急は輸送力の強化のため7両編成に統一された。そのため、8000系が7両編成1本と旧3000系挿入用の中間車5両の新造で対応した。だが、8000系車両が好評であったことから、旧3000系は置き換えの対象となってしまった。

※路線の概要については京阪本線の記事を参照。

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