経歴
歴代任天堂代表取締役の中では元々は娯楽とは異なる三和銀行(現:三菱UFJ銀行)出身の人物であった。もっとも山内溥から見出されて入ってきたのだから、「もっていた」のだろう。長らくNOAの会長を務めた後、2013年に本社に出戻り、次世代の経営体制の構築に尽力していた。
しかしその中途の2015年7月、4代目の岩田聡が急逝。以降しばらく社長が空席(岩田没後の代表取締役は2人体制でうち一人が宮本茂である。法的には代表取締役が最低1人いれば会社は回るので、「社長」が居なくとも問題はない)となっており、その後任として、急遽第5代任天堂社長に就任した。
就任当時は65歳であり、ニンテンドーSWITCHの発売を軌道に乗せるなどの、次世代の集団指導体制につなぐワンポイントリリーフを担った。2018年4月26日、再び組織の若返りを目指す事を理由に、6月の株主総会終了をもって代表取締役社長を退任する事を発表。任期満了で取締役も退く。その後は相談役に就くという。本人曰く、予想より少し早い交代のタイミングだったとか。そして6月28日の株主総会を無事務め上げ、予定通り一線を退いた。
後任、すなわち第6代任天堂社長は、欧州畑を歩んできた古川俊太郎。
前任者がいい意味で異常すぎたのもあるが、当人は奥手キャラで、プレゼンテーションはSwitch発表会の一度だけであった。このプレゼンの受けは概ね良かったのだが、いかんせん高齢がネックになって社長業が短期で終わり、二度目がなかったのが惜しまれるところである。