概要
昭和後期から平成初期(1978年~1993年)に活躍したアナウンサー・タレント・司会者。
芸人あしらいの上手さで知られ、同時期に活躍した久米宏らとともにタレント的な人気を博したアナウンサーのはしり的な人物だった。元々はフジテレビの局アナウンサーだったが、1988年に独立してフリーになった。
息子に俳優・司会者の逸見太郎が、娘に女優・タレント・レポーターの逸見愛がいる。
人物
大阪出身で元々大阪弁を話していたが、方言を矯正するための努力(アクセント辞典の丸暗記等)を重ね、ハンデを克服。アナウンサーになってからは関西弁を口にすることはなかった。
若手時代は目立つ人物ではなかったが、スポーツキャスターとして絶叫調のアナウンスで頭角をあらわす。1984年の『夕やけニャンニャン』予告コーナー司会者に抜擢され、片岡鶴太郎やとんねるずとの当意即妙なやりとりが注目を集めた。このコーナーで逸見のお茶目なキャラクターが認知され、真摯で真面目な人柄とのギャップで一躍人気司会者の仲間入りをする。
しかし、1987年には勤続20年に達したことでフジテレビ内で管理職扱いになりアナウンスの仕事が減ってしまい、「生涯一アナウンサーでありたい」という思いから翌年退社、フリーランスのアナウンサーとなる。「いっつみい」(苗字の「逸見」と「It's me」をかけたもの)の愛称で親しまれ、『たけし・逸見の平成教育委員会』など複数の冠番組を抱え、NHK・民放各局で司会者・キャスターとして活躍した。
1993年初春頃にスキルス癌(※)に身体を蝕まれている事を記者会見にて発表。その年のクリスマスに、48歳という若さでこの世を去った。
古巣のフジテレビのニュース番組「スーパータイム」で訃報が報道された際、スーパータイムで逸見とキャスターを務めた安藤優子は本番中に思わず泣き崩れてしまった。
クイズ世界はSHOWbyショーバイ!!で共演した渡辺正行も電話口のインタビューで号泣してしまった。
『平成教育委員会』で同じく司会者として出演していたビートたけしは葬儀の際に本来は弔辞を読むはずだったのだが、弔辞も読めないくらい葬儀中はずっと号泣してしまうほど信頼関係は厚かった。
明石家さんまは癌告白の記者会見を見て「この人はもしかしたら帰ってこないかもしれない」と不穏な予感がしたという。
まだ逸見が告白前に島田紳助はある番組で冗談で癌のネタを逸見に振ったのだが後にそれが事実だった事を知り、知らなかった事とはいえ凄く後悔したという。
※スキルス癌は進行が早く、早期発見をしないと治療が難しいとされている。
関連動画
関連タグ
スーパータイム クイズ世界はSHOWbyショーバイ!! 平成教育委員会
ミラーマン・・・第12話でニュースキャスター役。
連続テレビ小説・・・『青春家族』(1989年度前半)で岩井一之(ヒロイン・阿川咲の伯父)役。