概要
沖縄県知事選では基地移転の是非が争点となった事情から、基地の県内移転を認める自民党・民主党の支援は得られず、日本共産党・社会大衆党などの革新系から県民の支持を集め、現職の仲井眞弘多を破り沖縄県知事に当選した。
元々基地移設を最も推進していた人物であったが、ある時期から急激に方針を転換し、基地自体の反対を掲げるようになる。
不思議な程訪中を繰り返しておりながら、中国の船が沖縄の海への領海侵犯、密漁している事を一切取り上げることは無かった。
また、沖縄県知事当選記念のパーティーには『中華人民共和国中央軍事委員会副委員長』を自身のすぐ隣の席に招いている。
「基地反対」「チャイナタウン建設構想」「三本爪竜柱建設」「チャイナ便増加」「中国人旅行客推進」等
多くの政策、公約が中国ありきである事もあり。「中国のスパイ」と言われることもしばしば。
「オール沖縄」なるフレーズを使っているが市長選ではまったく支持を集められず翁長派はほぼ全滅
オールでもなんでもなく現状「オンリー那覇」である。
「沖縄の権利が日本政府によって侵害されている」と言う一方で宜野湾市などの裁量権は「市長の権限には無い」「沖縄全体の問題だ」として裁量権を認めていないダブスタを平気でする。
当選後は安倍総理にアポなしで対談を申し込むなど突飛な行動も目立つため、悪い意味で話題を集めた。
2018年4月にすい臓がんが発覚、入院して手術を受けるなどしていたが非常に進行の早いガンであったため間も無く肝臓にも転移、やせ衰えた姿で各方面に衝撃を与えた。
12月の任期満了も近い中ではあったが、次の知事選出馬に対しては明確な発表をしていなかった。2018年7月30日に容体が悪化し再入院。
2018年8月9日の夕方、側近の謝花副知事が会見を行いすでに翁長の意識が混濁状態であることを認め自身が知事の職務を一時代行することを表明するも翁長の知事辞任は否定した。しかしそれからわずかの時間しか経たない同日18時過ぎ、入院先の浦添市内の病院で死去した。享年67歳。
彼の死去を受け、公職選挙法に基づき同年の9月に前倒しで知事選挙が行われることとなった。
裁判には確実に負け、個人賠償責任になる「基地移設承認の撤回」を
自身がすい臓がんと判明してから踏み切った。