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尼子義久の編集履歴

2018-08-19 09:55:20 バージョン

尼子義久

あまごよしひさ

尼子義久とは出雲の大名・尼子晴久の次男。父の死後に家督を継いで毛利元就と戦うが、元就の策謀に敗れて降伏した。(1540年-1610年)

家督継承の暗雲

1540年、尼子家当主・尼子晴久の次男として誕生。幼名は三郎四郎。義久には又四郎という兄がいたが、早世した為に長男として繰り上げられたとも言われる。弟には倫久・秀久・氏久がいる。(ただし氏久が義久の弟という説は『出雲私史』であり、また氏久は『陰徳太平記』では尼子誠久の長男という一説もあるのでどちらかが正解かは不明。)


後に足利義輝の偏諱を受け、元服時に義久と名乗った。1561年に父・晴久が毛利家との戦いの最中に死去すると家督を継いだ。


しかし家督を継いだ当時の状況はあまりにも不運だった。それは石見大森銀山を巡る争いが終結していなかった中での継承や新宮党粛清による有力な親族衆が殆どいない状態で当主を継承するという事、更には尼子家から追放・粛清処分を受けるなど抑圧されてきた国人衆の不満が一挙に噴出し始めていた。


雲芸和議

晴久の死は毛利元就にも伝わり、元就は再び石見国への侵攻を画策。これに対して義久はかつての毛利家と戦う路線から一転して和平路線に変更。足利義輝に通じて元就との和解を望もうとした。


ところが、その矢先に元就の書状が届き「我ら毛利家は石見銀山に手を出すのは諦めると致す」との和解の文だった。義久は内部抗争や豪族の反乱などを抑えるべくこの和議をすぐに承諾する事となった。(雲芸和議)


しかしこの和議は元就の罠であり、結果的に尼子家に従っていた福屋隆兼は孤立無援の状況となった。更には隆兼を軍事援助を行おうとしていた本城常光、牛尾久清、多胡辰敬らの石見に駐屯していた家臣や温泉英永など尼子方の国人も不利な立場に立たされることとなった。


同1562年に本城常光が不満から毛利家に下ると、毛利家は突如として同盟を破棄。温泉英永、牛尾久清は出雲へと退却した事で雲石国境の刺賀岩山城は落城し、多胡辰敬は敗死。また赤穴盛清や三沢為清なども相次いで毛利家に降伏するなど次第に大勢力は削られていった。


尼子家の終焉

この情勢を契機として毛利軍は出雲へ侵攻。1563年には白鹿城を攻め落とし、松田満久を自害に追い込んでは熊野城も抵抗虚しく陥落した。立て続けには三刀屋久祐も毛利家との交戦をする事なく、そのまま毛利家に寝返るなどとして尼子家の状況は更に悪化。


一方で義久は大友義鎮と結びながらも反毛利家の豪族達の力もあって凌ぎ続けるが、1564年には伯耆江美城の落城によって尼子氏の糧道がほぼ押さえられた事で美作の豪族・江見氏や三浦家とも容易に連絡が取れる状況ではなくなり、月山富田城は孤立してしまう。


1565年から毛利軍が本拠地・月山富田城を包囲。尼子軍は毛利軍に徹底抗戦。対する毛利軍もこれに対処するが、月山富田城は固く力攻めでは無謀と考えて兵糧攻めに切り替えてきた。富田城内では次第に兵糧が無くなり、尼子家の重臣であった亀井氏・河本氏、湯氏や佐世清宗元嘉親子・牛尾幸清(久清の父)・久清親子が毛利軍に降伏する。


元就は更に謀略で富田城内に内通者がいると大塚与三衛門を唆し、義久はこれを信じた事で私財を無くしてでも味方を救おうとした宇山久兼を謀殺。この結果、更に混乱を極める事となってしまった。(ちなみに唆した大塚与三衛門はしばらくして尼子家臣・大西高由によって討たれている。)


1566年11月末に義久は遂に毛利家に降伏する事を決意。元就に降伏する書状を送り、元就はこれを承諾。また吉川元春と小早川隆景は身柄を安堵する事も書状に書き加えている。これによって月山富田城は開城し、出雲国内にて抵抗をくりかえす尼子十旗の武将達も次々に毛利氏に降伏していった。


更に元就は義久とその弟たちを助命し、安芸円明寺に幽閉する事にした。


その後の義久の動向

1569年頃より旧尼子家臣団が、義久の従兄弟である尼子勝久を擁立して尼子再興軍を立てた際には義久はその事に問われる事は無かった。幽閉から23年後の1589年には弟達と共に幽閉の身から解放され、毛利輝元より毛利氏の客分の処遇を受け安芸国・志道に居館を与えられた。


1596年には出家し、友林と号した。義久は後に倫久の子である元知を養子に迎えている。1610年に70歳で死去。家督は予定通りに元知が継ぐ事が決定した。


各メディアにおける尼子義久

信長の野望

現状の作品でのステータスは20内(最低でも政治28)とかなり低く、従兄弟の勝久に至っては統率・武勇が少し高い為に尼子家の一門では最低クラス。しかも作品のシナリオ(特に1561年)によっては大名となっているので、更に使いにくさがある。


戦国無双

武器:薙刀(2Emp) 刀(3) 声:岡本寛志(2) 草尾毅(3)


父の晴久に先立ち、2Empにてモブ武将として初登場。地方シナリオでは大名となっている。

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