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宇山久兼

うやまひさかね

宇山久兼とは、中国地方の戦国武将。尼子氏三代に仕えた家臣で、毛利氏の侵攻により衰勢に向かう主家を支えるも、讒言の末に誅殺されるに至った。(1511年 - 1566年)

概要編集

戦国時代武将で、尼子氏家臣。元は主家の尼子氏と同様に近江佐々木氏の一流であると伝わる。


尼子経久の代より家臣として仕え、吉田郡山城の戦いを始め数々の戦いに従軍。経久の孫である尼子義久の代になると、毛利元就の侵攻により尼子氏も劣勢に立たされていくものの、第二次月山富田城の戦いにおいては毛利方の兵糧攻めに対し、久兼は私財を擲って兵糧の調達を図り、他の城兵・重臣らが毛利方へ投降する中にあってもこれを押し留めようとするなど、主家に対し忠実であり続けた。

しかし永禄9年(1566年)正月、義久の側近である大塚与三衛門が「久兼が城内の兵糧を私物化し、いざ毛利に降ろうとしている」と讒言に及び、長きに亘る籠城戦で疑心暗鬼を生じていた義久は久兼とその一族を誅殺するに至った。この一件で城内は混乱に陥り、讒言に及んだ与三衛門もまた大西高由によって討たれている。


この一件は、前述の通り讒言によるものであるとの見方の他、元就の調略によるものであるとも、また久兼自身実際に毛利方へ通じようとしていたためとも言われているが、いずれにせよ敗色濃厚になりつつある中で久兼が殺された影響は大きく、わずか1年足らず後の永禄9年の晩秋に月山富田城は陥落、戦国大名としての尼子氏は滅亡を迎える事となる。


関連タグ編集

武将 中国勢

尼子氏 尼子経久 尼子晴久 尼子義久


磯部勉 - 1997年放送のNHK大河ドラマ『毛利元就』での久兼役。作劇の都合上、同作では尼子久幸に代わって吉田郡山城の戦いにて討死という形で退場しており、月山富田城攻めで誅殺される役回りも別の登場人物が担っている。

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