曖昧さ回避
概要
鎌倉時代中期の刀鍛冶で短刀作りの名手と呼ばれた粟田口吉光により作られた短刀である。
元々は秀吉が所持していたもので、後に関ヶ原合戦にも参加したことのある徳川家康の家臣で元老中・永井信濃守尚政に渡ったことが名の由来。
その後、徳川将軍家へ献上された。
一説によると、徳川家光養女・清泰院大姫が前田光高に輿入れした際、御礼言上の儀において家光から光高に拝謁され、後に酒井忠勝に売却されたといわれている。
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2019-03-20 08:21:46 バージョン
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